研究概要 |
他者経験に関わる問題点を私はフッサールの現象学に即して研究した。扱った主なテキストは『デカルト的省察』と『相互主観性の現象学のために』(全3巻)である。フッサールは『デカルト的省察』において他者経験を「類比による統覚」(対比)の分析によって現象学的に解明しようとした。この研究で私はまずフッサールの他者経験論において、他者が自我と同等な「他の超越論的自我」(共同主観)として扱われているかどうかをヘルト,トィニッセン、アギレなどの研究を踏まえて検討した。ここで明らかになったことは、「第五省察」でのフッサールの他者経験論は、ヘルトが批判しているように、共同主観としての他者の原本的意識の把握に成功していない、ということである。この原因は、フッサールが匿名的に機能する他者の非主題的把握を自我による他者の主題的把握に基づけようとした点にあると共に、フッサールがいちはやく高次の共同性の能動的構成に向かおうとした点にある。次に私は『デカルト的省察』の他者経験論を、より広くフッサールの相互主観性理論の形成過程の中に位置づけた。フッサールは『デカルト的省察』で他者経験論を提出する以前にすでにさまざまの時期に他者論=相互主観性理論をモナド論という形で構想していた。フッサールが長年構想していたモナド論は『デカルト的省察』でのモナド論よりも本来豊かな内容をもち、それにはさまざまの要素が見られる。われわれはシュトラッサーとヘルトの研究を手引きとして、さまざまの草稿に見られるモナドの記述から、モナド論としての相互主観性の現象学を時間性の面も考慮にいれて再構成する手がかりを得ることができた。この研究の成果として、「原初的に交流するモナドの共同性」に注目したい。これは他者とのコミュニケーション的な共在のあり方の原型を示すと思われる。
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