研究課題/領域番号 |
03610008
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
哲学
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研究機関 | 桜の聖母短期大学 |
研究代表者 |
小笠原 正薫 桜の聖母短期大学, 家政学科, 助教授 (70105146)
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研究期間 (年度) |
1991
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研究課題ステータス |
完了 (1991年度)
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配分額 *注記 |
1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
1991年度: 1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
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キーワード | 徴証 / 因果論的構図 / 無限遡及 / 確握的パンタシア / アナロギア / 消去法 |
研究概要 |
ドグマティスト攻撃されるストア派のおける固有の徴証は因果論的構図を持ち、<p>が不明な<q>の徴証であるのは両項にわたる持続因<r>が一般化して取り出せた場合であり、それによって<q>が<q>として把握される。ところで、この<r>そのものの正当化には仮定性、循環論が必要であるが、証明を必要とする確証性のかわりに蓋然性を持ちだすことによっては仮定を正当化できなく、循環論における相互依存でも、その依存を正当化できない。それゆえ、正当化の唯一の道は恣意的前提群で終結しない非ー循環論的論証の提出であるが、無限遡及は「何かを確立し始めるための<橋頭堡>をわれわれに与えない」(PHI160)しかし、この結論の受容が真なる前提と妥当な推論形式を信じない人によって可能となるかが問題である。アグリッパやアイネシデモスによって提出されたトロポスにさられて、この結論を受容したとすれば、それは理性的に強制する類いの論証を受け入れる傾向があるからである。もしそうでないとすると、<r>に劣らずー<r>が正しい可能性があるとする、独断を中和する成熟したピュロニストの心理学的治療しか残らない。不明なものの探求においてはアプリオリな形式性としてのmodus ponens 等を導出手段として承認するとしても、<r>を介しての<q>の真の基準の確実さは何によるのか。それは<p>の明白さだが、確握的パンタシアによるとすれば、事象の全系列の把握というべき人知を超えた要請がなされ、成立しない。むしろ、感覚に直接的明白な事実が出発点である。そもそも感覚の恒常性が前提にあるから錯覚等が問題となるのであり、エピキュロス派のように「感覚はすべて真である」という前提にたたねば、生物の生存という更に基礎的地平さえ理解不能になる。ただ、ストア派とエピキュロス派には不明なもの探求に消去法をかアナロギアを用いるかによって、理論負荷性ないし感覚的類比の立場をとるという相違が生ずる。
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