研究概要 |
本研究によって得られた新しい知見について (1)総力戦体制下における教育立法は,教育立法の主体が明治期における枢密院及びその他重圧も,またこれに対立する大正期以後における議会の役割も消滅し,これに変って「革新」をめざす軍部と官僚がその執行権を握ることになる。この転換と象像する問題が昭和12年の義務教育法案問題であり、また昭和13年枢密院官制のの改正問題であり、この両者に関する関係資料を明らかにすることができた。とくに後者の官制第6条の改正に伴う枢密院御諮詢事項に関する諒解事項(国議決定)は教育立法の勅令立義の根幹となる事項の失効の宣言を意味するものであった。 (2)転換以後における総力戦体制下においては、軍部と革新官僚がファシズムの執行権を握り拡大された強力な内閣による要綱行政,指導行政が教育法と関係なく政策決定をして行くこととなる。とくに沢戦体制といわれる昭和18,19,20年における政策決定関係の資料と収集した。(現情勢下国政運営要綱,国幸行業8号学校非常体制確立要綱集,国内態勢強化策措置(文部省),国民学校令等戦時特例.緊急学徒勤労動員方策要綱,学児疎用ノ促進ニ関スル件,新規中等学校卒業者,勤労動員継続に関スル措置要綱,学童疎用強化要綱,決戦体制措置要綱,勤労動員例等)。これら要綱等の最初のものである昭和18年9月における現情勢下国政運営要綱及びこれにしめる文教政策決定資料は,この時期の政策反立怯方式を明らかにする上に極めて重要な意義をもつものであり、今後の詳細な検討が必要とされる。 (3)昭和20年8月の「枢密院諮詢事項ノ維例ニ関スル件」は、「各学校令中(野範教育令ヲ含ム)及幼稚園令ノ政正又ハ特例ニ関スル勅令ニシテ見ノ事次重要ナラザルモノ」は枢密院に諮詢するを要しないこととなり,勅令主義の根幹であった枢密院の排除を示す重要な事柄である。
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