研究概要 |
本年度は、昨年度に引きつづき、主として学制公布前における庶民教育機関としての前近代的諸学校の所在確認と規模・状況等について実態調査をすすめた。 旧松江藩(県)における郷校計画については、新発掘史料『儒学校日記』、『郷校取調巡郷日記』(いずれも挑節山著述)によって、能義、神門郡の両郡で試験的に設置し、その上で「管内十郡各一二所,郷校ヲ設ケ」る計画であったことを知ることができた。しかし、管内十郡の具体的実施計画と具体的設置については、一部の地域しか明らかにすることができなかった。また、教導所設置については、前記二史料等をはじめ他史料によって、南学教導所が楯縫、出雲、神門、大原、意宇、大根島の六郡に設置され、かつ西学教導所については、大根島を除いて全ての郡(但し、楯縫郡のみは、南教校導所と西教校導所は同一場所)に設置されていたことを明らかにすることができた。 また、士卒の女子教育については、四ヶ所の女学校が修道館直轄のもとで実施されたこと、農工商の女子教育については、この四女学校とは別に教導所において男女の区別を厳重にして教育が実施されていたこともわかり、実に興味深いものがあった。 学制以前において、松江藩から島根県に継承されつつ展開した庶民教育振興策は、全国的にみても特色ある施策であった。ただ、やっと軌道に乗りかけた時が、学制公布を目前にした時点で、ためにその生長発展をみる時間的余裕もなく新しい全国一律の学制へ切り替えざるを得なかった。ともあれ、こうした学制前の前近代的諸学校の設置状況等についてこれまでの先行的研究を大いに補完し得たことは、一つの成果であった。本研究テーマは、まだ調査、研究の継続中であり、学制公布後との関連を更に解明してゆきたい。
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