研究概要 |
中国の秘密結社(会党・〓会)は300年余の歴史をもつが、今回はとくに民国初期に焦点をあてた。この時期は、辛亥革名前の10年間,革命運動に参加して隆盛をみせた会党が、中華民国新政府の排斥・弾圧に遭って変質,転換を余儀なくされた時期であった。この点を民国元年長江流域に新たに設立された青〓・紅〓の代表的な連合組織,中華民国共進会(陳其美・応〓丞・張尭卿)と社団改進会(譚人鳳・徐宝山)の二つについて,組織の目的と性格を究明するとともに、新政府とのかかわりのなかで、これらがいかなる運命をたどったかについて考察をおこなった。 その結果,二つの結社は,いずれも清末会党によって起家した革命党人や〓会首領たちが,会党存亡の危機に直面するなかで,旧い体質の会党組織を再編して合法的な民党に改良脱皮させ,自らの政治活動,基盤の強化をはかろうとしたものであることがわかった。しかし,現実にはこうした努力も,会党民衆の社会的擾乱,反社会的行為を克服,抑止することができず,事は計画通りにすすまなかった。他方,身国の建設をめざす新政府(袁世凱政権)にとり,社会の安定,秩序維持は至上課題であったから,元年9月と11月に秘密結社禁止令,解放令が相ついで出され,取締り弾圧が強化された。こうしたなかで,会党・〓会の多くは解体を余儀なくされ、或いは地下に潜ることになった。またこの間,かつて会党首領の一部が新政府の幹部に栄進し,旧部下の会党民衆に対する関係が弛緩し,かれらに対する配慮を放置したことも少なからず影響した。やがて,第二革命に革命党が敗北,かつて会党を指導した革命党首脳(孫文,黄興など)が海外に亡命するなかで、会衆民衆の流氓化がはじまる。かくしてこの動きはやがて1920〜30年代の上海など沿海都市を中心に隆盛するいわゆる“黒社会"時代へ連なることになる。
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