研究課題/領域番号 |
03610195
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
東洋史
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研究機関 | 大阪国際大学 |
研究代表者 |
松田 孝一 大阪国際大学, 経営情報学部, 助教授 (70142304)
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研究期間 (年度) |
1991
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研究課題ステータス |
完了 (1991年度)
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配分額 *注記 |
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1991年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | モンゴル帝国 / 軍事制度 / 探馬赤軍 / 遼東 / 高麗 / 陝西 / チャガタイ家 |
研究概要 |
オゴデイ・ハンの治世初期に帝国辺境に派遣された探馬赤軍団を既に明かとしている河南淮北蒙古軍団の研究を基礎に推進した。(1)東部方面軍として遼東高麗辺境派遣軍、(2)中国西部方面軍の1つとして陝西南部派遣軍の2つについて各軍団の成立と構成および軍事活動の実態について考察した。遼東高麗軍団の構成として、指揮官サリクタイ・コルチは、チンギス・ハン時代に遼東を征服したムカリの権限を継承し、その称号「権皇帝」は、ムカリの三個の称号のひとつであり、配下の軍団は遼東の契丹軍団が中心であって、これもムカリの軍団を引き継いだものである。副長官のテゲは遼東の女真軍閥蒲鮮万奴の子で女真系の兵員の参加も考えられる。ムカリの別の称号「都行省」とムカリ配下の五部族は河南淮北蒙古軍団の指揮官テムテイに引き継がれていたから河南淮北蒙古軍と遼東麗軍団はいずれもムカリ軍団を分割して受け継ぐものであってことが明かとなった。(2)の陝西南部の軍団としては、チャガタイ家の千戸で河西の山丹のチャガタイ家分地をベ-ス・キャンプとしたアンチュル軍団を中心に考察を進めた。この軍団はチャガタイ家の指令のもとにあったためチャガタイ家諸王のモンゴル内部での政治的立場に左右されて四川辺境での活動には消長があるが、元朝末期まで極めて高い独立性を与えられていた。この軍団は四川での南宋国境線を守備にあたり、契丹などの千戸長を配下に編入して増強された。 アンチュル軍団の守備地域の東隣の興元に女真の夾谷マングタイが駐屯し、また、遼東高麗軍団の副長官テゲは京兆に移り、四川辺境で活動したように陝西には女真系の兵員の配備も見られる。2つの軍団に見られるような探馬赤軍団編成の際の契丹・女真兵員の規模と機能は今後解明すべき課題である。
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