研究概要 |
イギリス絶対主義国家の形成過程において,国際関係(対外的要因)は如何なる影響を及ぼしたか,この問題を明らかにする企画の下,絶対主義成立の前夜たる15世紀イギリスの対外関係を究明し,その中から,イギリス絶対主義国家の諸要因をみいだした。具体的には,ランカスター朝ヘンリー6世の外交政策と英仏百年戦争,二重王政の成立と解体,バラ戦争期における政権交代と外交的要因=ヨーク朝エドワード4世の外交政策と政権の動き,テューダー朝成立の国際的環境,を考察した。平成3年度は,ランカスター朝ヘンリー6世の外交政策と二重王政支配体制(治世摂政期における二重王政支配の実現と親政期での解体過程,その背景),平成4年度は,ヨーク朝エドワード4世(リチャード3世も含む)の外交政策とバラ戦争期の政権交代,西欧諸国の動き(親ブルゴーニュ策の功罪)について重点的に研究をすすめた。その結果,次の成果=結論を得た。Oヘンリー6世の二重王政政策は究極には失敗に終ったが,その後,イギリスはフランスと対策の王国の地位を確立出来た点,絶対主義国家成立への一歩を築いたことになる。それは,二重王政がイギリス国王をフランス国王の臣下としての位置なら脱皮させたからである。Oエドワード4世の外交政策は,西欧におけるフランス王国とブルゴーニュ公国の勢力均衡の上にフランス封じ込め策を行い,自らの絶対主義的統治体制を成功させたが,公国解体後、西欧においてフランス王国の勢力が増大し、彼(ヨーク朝)の外交の基盤が崩壊,チューダー朝絶対主義国民国家誕生の国際的環境がつくられたのだった。 本研究は,筆者の従来研究(絶対主義国家の成立過程における国内的要因=バスタード・フューダリズムとバラ戦争の解明)から一歩前進して,絶対主義国家の成立過程に占める国際的=外交的要因を明らかにしたものに他ならない。
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