本研究は弥生時代後期〜古墳時代前期の墳墓から出土する中国鏡のあり方をいかに説明できるかということから始まった。鏡の形式としては画文帯神獣鏡・画象鏡・獣帯鏡・斜縁二神二獣鏡などがあげられる。しかし、楽浪での中国鏡のあり方を検討すれば、これらの形式の鏡が2世紀末葉までに成立していたことが判明した。さらに、中国本土・楽浪から出土したこれらの形式の鏡をみると、日本出土鏡に比して鋳上がりが非常に良好なことが看取できた。この事実は日本出土鏡が鋳上がりの悪い踏返し鏡である可能性が高いことである。 そこで、どのような特徴を持つ鏡を踏返し鏡と認定するかを決定するために、明白な踏返し鏡である宋代のほう漢鏡の観察を行なった。その結果、(1)鏡縁が波うつ、(2)図像の高い所に湯が回りきらず図像が表現されない。(3)真土の為地の部分・園線・銘文がざらつく。という特徴を見いだすことができた。だが、2・3世紀の踏返し鏡の可能性のある日本出土鏡は真土が微細なためか(3)をあまり顕著に見い出すことはできない。だが、詳細に観察すれば地の部分に部分的にこの特徴を見いだすことができるために、前者と同様に踏返しによる製作と推定できた。 この踏返しという技術が2・3世紀に顕著にみられることは、この時期の中国本土での戦乱の結果、人口の激減があり、鏡などの奢侈品の生産は衰え、新たに鋳型を彫刻することは稀になり、その技術も稚拙になったためである。この事は3世紀の紀年鏡の観察で明確になった。このような情況下で簡単に銭型を製作する方法として、真土に存在する鏡を押し付ける方法が推定できた。 また、弥生時代後期・古墳時代前期出土の上記の形式の鏡の大半のものが、踏返しによる製作であることが確認できた。
|