研究概要 |
およそ中国には古い時代の言語生活を具体的に再現し得るような一次資料が乏しい。そのような状況下にあって例外とすべきは敦煌写本であって、そこには極めて豊富な材料がほとんど手つかずのままに残されている。わけても十世紀の写本は種類の上でも多様であり、民間の生活を反映する材料に事欠かない。そのための基礎作業として「敦煌言語生活史資料集成」を目指したが、不完全ながらほぼ使用に堪えるデータベースが完成しつつある。 十世紀敦煌における漢・チベット二言語併用の問題は、きわめて重要な側面であり、資料もかなりの數にのぼっている。敦煌資料中のこれら資料を網羅的に分析することによって、背景のチベット化された漢人社会の様相、とりわけ佛教社會におけるそれが明らかになった。チベット文字書寫「長卷」の研究がその解明においておおきな部分を占めている。 十世紀敦煌における言語に対する規範意識の問題では,いわゆる河西方言がこの地域の共通語的性格を一層強め,吐蕃支配期および帰義軍期の初期にはなお大きな影響力をもった長安の国家標準語が衰退していくという構図を藏漢資料を中心とする敦煌寫本ははっきりと示している。トルファンと敦煌との比較は興味ある事柄であるが、トルファンでは強く漢化されたウイグル人が獨自の字音を形成し、發展させた。これは敦煌におけるチベット人が結局字音の成立までに至らなかったことと對比して興味深い事實である。恐らくこれは敦煌が古來漢人が優勢な社會であり、またチベットの敦煌占據が時間的に短く、文化的にも有效な浸透を成し得なかったことに理由を求められるであろう。
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