上記課題の本とで主として対象としたドイツについて通説は、糾問手続は学識法との関わりを経ずに、固有法の展開として成立、発展してきたものと理解してきたが、これは、近年きわめて疑問視されてきている。近世私法史研究を含め、法史研究全体の動向として、学識法の「初期継受」の現象が大きく注目されてきている。 この研究動向と並び、あるいはそれに関わって、もう一つ、大きな問題が提起されてきている。従来糾問手続の主柱とされてきた自白、および拷問の問題である。これには、第一に拷問の導入は学識法の展開と関わるのかどうかの問題、第二に、自白は本当に真実の発見を目的としていたのかどうかの問題である。とくに後者については、告訴手続の手義の問題が関係する。というわけは、自白を得るということがもし真実の発見といった意義を元来有していなかったとすれば、糾問手続をもう一度考え直し、その意義を限定的にとらえる必要がでてくるのであり、そして、これに大きく関わって、告訴手続の再評価の問題が浮上することになるからである。 そこで、学識法の継受が大きく展開した中世末期、近世初期の時代における立法、1507年成立の「バンベルク刑事裁判令」(そしてこれに伴い、「カルル五世刑事裁判令」[1532年])に見いだされる告訴手続と糾問手続との関係から、この問題を探った。通説、およびこれにたいする新しい研究に向けて検討、批判をおこなった結果によれば、通説が述べるように、原告人は告訴を提起した後は手続からすべて退き、後続の手続はすべて職権が主導権を握るというのは正しくない。というわけは、原告人は告訴低起の後、被告人の犯罪についてその徴表を申し立てるのみならず、さらに、徴表の証明をおこなわねばならないという、一連の重要な手続を委ねられていた。しかも、このことが、新しい研究によっても必ずしも充分には認識されてきていないのである。
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