研究概要 |
過去3ヶ年度(1991〜93年度)にわたり,東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国に関する資料と収集整理しつつ,組織としてのASENAがおこなった(そしておこなわなかった)協力について1980年代を中心に分析を進めてきた。1992年1月に第4回首脳会議を開き,自由貿易地域を15年かけて形成することに合意した他,93年7月には域外大国を取り込んで安全保障に関するASEAN地域フォーラム設置の合意にもこぎつけた。90年代のこのような新たな活動の背景となる80年代の政治面,経済面でのASEANの機能と限界とをかなりの程度明らかに出来た。 まず,政治面ではインドシナ問題に対するASEANの取り組みに関しては、(1)インドシナ難民への対策,(2)カンボジアに侵攻したベトナムへの政策,(3)カンボジア内戦の相手努力,という重要な3側面の各々についてASEAN諸国の内部対立をASEANとしての統一的意思形成への妥協を分析した。その結果,ASEAN対インドシナという対立の構図は東南アジアの理解として不正確であることが明らかになった。経済協力に関しては,(1)特恵貿易協力,(2)工業化協力,(3)産業補完協力,の3点を中心にASEAN諸国政府の立場の相違と協力の停滞の実態を分析した。その結果,久同が開発政策を競合的に進めるASEAN諸国間では「総論賛成・各論反対」の構図が存在したことが明らかになった。 本研究により,従来十分に理解されてこなかった80年代のASEANの活動がかなりの程度明らかになり,一見停滞していたASEAN協力の裏で,加盟各国間の相互依存と相互協調の制度化が進展していたことを確かめられたことが大きな成果である。
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