本研究の課題は、国内の商社活動に対して国際カルテルが与えた影響を大倉商事(大倉組)の事例を中心に明らかにすることである。ドイツAEG社は1900年代以降、拡大しつつある日本の電気機械市場への進出を図った。その際、AEGの輸入代理店として市場拡大に取り組んだのが大倉組であった。しかし、1910年代に入ってから、大倉組はそれ自身では解決できない商社活動への制約を受けた。それは、アメリカGE社とAEGの間で結ばれた国際協定に端を発していた。1903年のGE・AEG協定そのものは日本市場を対象としていなかったが、GEは1909年に芝浦製作所と提携し、日本市場における芝浦の排他的権利を認めた。そして、GはAEGと大倉組に対して、芝浦の排他的権利を尊重するよう要求した。GEの要求を受け入れることは、大倉組がAEG製品の輸入販売業務を続けられないことを意味しており、大倉組はこの要求をそのまま受け入れることは出来なかった。最終的には、GEとAEG・大倉組との間で話し合いが行なわれ、大倉組はAEG製品の輸入業務を続けることが出来た。けれども、大倉組・AEGの日本市場における活動には制約が課せられた。具体的には、タ-ビンに関して1913年に芝浦とAEGの間で協定が締結され、(1)GE・芝浦は日本における専売権をAEGに与え、AEGは製造販売権を芝浦に与える、(2)AEGは日本で販売した製品の特許使用料、コミッションを芝浦に支払う、(3)過去4年間の実績に基づいて両者の販売比率を定めることになった。1910年代に入って、GEは、国際協定および特許協定を利用して、自己のテリトリ-を拡大する戦略を採ったと考えられる。そして、このGEの企業戦略によって、大倉組(大倉商事)の商社活動とAEGの日本における事業展開は制約を受けることになった。
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