蒙古語の仏教用語の多くは多様な来源にかかる借用語であり、この事実は経路を異にする二度の仏教弘通という特殊な事情を反映している。通説では、13、4世紀のウィグル経由の第一次弘通の際の借用語はウィグル語を直接の来源とし、一方16、7世紀の第二次弘通の際の借用語はチベット来を来源とするとされている。もっとも、これは歴史的背景に立脚した仮説にすぎない。現存する蒙古語仏典の多くは第一次弘通の際翻訳されたものを第二次弘通に際して改訳したものであるが、その作業は必ずしも徹底したものではなかった。同一の梵語形式に対して複数個の蒙古語形式が対応している事例も珍しくはない。したがって、借用形式の精査を通じて13-17世紀の間に蒙古語が経験した言語接触の様態を窺い知ることが可能であり、これこそが本研究の眼目であた。研究代表者はその一環として、すでに平成3年度において、中期蒙古語における言語接触の様態を概括的に論じた論考を発表している。また、既刊および未研究の仏典資料を精査し、未報告の借用形式を多数収集している。平成4年度は具体的な仏典に題材を求め、そこに窺われる接触の様態をテキストに即したかたちで、より具体的な解明の試みを公にした。そこで、研究代表者は、少なくとも13-4世紀に成立したと目される蒙古語仏典においては、漢訳仏典の存在を無視し得ず、蒙古語仏典はウィグル語・チベット語・漢語的要素が複雑に錯綜しつつ成立したことを明かにした。これは当時のモンゴル帝国における言語状況を忠実に反映していると考えてよい。さらに研究代表者は別の仏典に関しても同様の作業を進めており、その成果を逐次刊行する所存である。研究代表者は、今後さらに、未研究の蒙古語仏典を資料として活用して、上述の多様な来源に遡り得る借用語を収集し、その来源と経路をたどり二度の翻訳の性格を考察することを通じて、モンゴル帝国さらには13〜4世紀における東北アジアの言語状況を一層明らかにし、言語接触に関する普遍的な知見を得たいと考えている。
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