1、イギリスのシェフィ-ルド市と日本の北九州市は、鉄鋼の街として栄えてきたという.同じような街の成立の歴史がある.しかし、第2次産業から第3次産業へと、産業構造がシフトするに従って、第2次産業の中心である.鉄鋼も衰迅し、その結果、シェフィ-ルド市も、北九州市も、産業構造の転換と迫られた. 2、日本の場合、プラザ合意由来、円局による不況が地方とおそい、とりわけ輸出産業中の産業構造をもっている地域は、産業の空洞化におそわれた.これは、日本の特殊な状況だと思われているが、他の先進諸国、とりわけ日本近代化のモデルとしたイギリスのような国家でも、劣仂奨金の上昇などによって、第2次産業の衰退と、地方の産業の空洞化と経験している. 3、このような数似点と、イギリスの街・シェフィ-ルド、日本の街北九州の間に発現できる.このような衰退に対して、双方の都市が活性化にとり組んでいる政策と比較してみると、おどろくほどの類似性が発見できた.他えば、商業機能の充実、第3次産業の誘致、交通網の整備とりわけ空の交通網として飛行場設置への政策などである. 4 ただ、シェフィ-ルド市は、鉄の生産と同時に、街の周辺に生活関連製品をつくる企業が沢山ある。シェフィ-ルドのスプ-ンなどの金属食器がとりわけ有名である.そのため、鉄がだめになっても、韓国等から安い鉄を逆に輸入し、生活関連製品を製造する企業は、いきのびている.その意味で、様々な機能を有機的にそなえているため、シェフィ-ルド市の衰退は、北九州市ほど激しくない.これらの街づくりの一視点とすべきである. 5 日本における、様々な機能をもった有機的は都市づくりのあり方を、この研究の成果ともに拡大していく必要がある.
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