中世の都市停滞期に喪失した建築家像が十五世紀に入ってアルベルテイの建築論の中で再び構策されていったが、同時に現在なおイタリア都市の性格を物質的に規定し続けている建築の文化的地平が都市機能充実の気運によって営まれた建設活動の中で培われた技術と職人組織とその建設法のシステム化によって支えられたことを明らかにした。初期ルネサンス建築を把握するには、建築家に対する作家論的な解釈ではなく、このような建設現場からの極小史的眼差しからの見据え直しこそが必要であった。ルネサンス期の都市化現象に通底した建設活動における組織編成の変容とその過程を射程することによって、ルネサンス期の建築文化の相貌を理解した。具体的な作業としては、十五世紀に建設されかつその建設記録が現在する建設事業、しかも相互に共通の職人が従事している可能性の高い建設現場を数箇所特定し、それぞれの記録に登場する職人の属性を整理した。 職人個人の創意が尊重された初期ルネサンス期において、建築家単位あるいはその工房単位で、制作された建築の形態的特徴を把熟するのは困難であり、個人の職人をより流動的に多次元的に捉える必要があった。特に建築家ミケロッツォが中心に施工する中世的建設法とは異なった、現場での施工監理から解き放たれ、設計に尊心した近代的な建築家像とそのシステマテックな建設組織が浮き彫りになった。さらなるフィレンツェの都市規模の総合的分析による組織的建設法のメカニズムのモデル化には至らなかったが、他の工房の事例、他の都市の事例との比較検討を行なうことによって一般化し、職人組織の重層構造を解明するための基礎を構築できたと考える。
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