昨年に引き続き、大正初期の美術論を検討した。「美術家・高村光太郎の周辺」では、白樺派の美術論が「物自体」としての客観と主観との一致を安易に唱えたのに対し、高村は文化の通時的・共時的相対性を踏まえた上での、より高次なコスモポリタニズムを説いたことを明らかにした。また大正詩のコスモポリタニズムを考察する上で詩の口語自由詩化を論じた。形式面では、大正詩をリードした民衆派の口語自由詩が、自然主義的形式破壊の延長線上にあったことを、「日本における<自由詩>概念の再検討」において明らかにした。また内容面については、民衆派の作品がコスモポリタニズムを主張していながら、実は彼らの作品が<ナショナルなもの>を再生産していた逆説を考察した。そしてさらには、そのような<ナショナルなもの>の再生産こそが、民衆派だけではなく、大正詩のエートスであったことを『災禍の上に』というアンソロジーを通して考察した。 この「『災禍の上に』論」は、来年度刊行される単行本(表題未定)の一章として発表するつもりである。
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