研究課題/領域番号 |
04041095
|
研究種目 |
国際学術研究
|
配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 佛教大学 |
研究代表者 |
眞田 康道 (1993) 佛教大学, 文学部, 助教授 (90066415)
真田 泰道 (1993) 仏教大学, 文学部, 助教授
真田 康道 (1992) 佛教大学, 文学部, 助教授
|
研究分担者 |
長澤 和俊 早稲田大学, 文学部, 教授 (60083333)
網干 善教 関西大学, 文学部, 教授 (90067463)
沙比提 新彊博物館, 館長
王 炳華 新彊考古研究所, 所長
韓 翔 新彊文化庁文物処, 処長
高橋 照彦 国立歴史民俗博物館, 助手 (10249906)
貝柄 徹 関西外国語大学, 外国学部, 専任講師
古川 雅英 科学技術庁放射医学総合研究所, 環境衛生研究部第1研究室, 研究員 (40238671)
米田 文孝 関西大学, 文学部, 非常勤講師 (00298837)
井ノ口 泰淳 龍谷大学, 名誉教授 (10080988)
小島 康誉 新彊大学, 名誉教授
SABIT Ahmat Xinjiag Uigur Autonomous Region Museum, China, Director
WANG Bing-fua Cultural Relic Archaeology Institute of Xinjiang, China, Director
HAN Shang Historical Relic Section of Cultural Department in Xinjiang, China, Director
|
研究期間 (年度) |
1992 – 1993
|
研究課題ステータス |
完了 (1993年度)
|
配分額 *注記 |
11,500千円 (直接経費: 11,500千円)
1993年度: 6,000千円 (直接経費: 6,000千円)
1992年度: 5,500千円 (直接経費: 5,500千円)
|
キーワード | 樓蘭王国 / 精絶国 / 尼雅 / 古代遺跡 / 仏塔 / 木簡 / カロ-シュティー / スタイン |
研究概要 |
1.《輸送・設営》尼雅遺跡は、補給基地(民豊)から130km砂漠の中に入った厳しい環境の中にある。92年には砂漠車(砂漠用WD仕様トラック)4台で2日を要して現地に到達し、1週間滞在した。93年には5台の砂漠車で1日で到着し、現地に3週間滞在して大きな成果をあげた。来年度から現地に4〜5週間滞在し発掘等本格的調査をする見通しがついた。 2.《遺跡分布調査》(1)東西7km、南北25kmの範囲に散在する遺跡群の位置をGPS(衛星電波による位置測定装置)で測定し、標識を付けた。91年には、住居址15箇所(内5箇所は後年度と重複)、仏塔1箇所を測定。92年には、住居址30箇所(内無標識1箇所)・墓地1箇所(93年と重複)・家畜小屋1箇所・並木跡1箇所を測定。93年は、住居址39箇所(内無標識3箇所)・墓地4箇所・古代の橋(Anicent Bridge)1箇所・桑などの並木跡5箇を測定した。スタインの遺跡全体地図(Revised Site Plan of Anicent Site Beyond NIYA River in “Serindia")には、経・緯度の記載がなく、また、記載のある地図(Sheet No.37)によれば、仏塔の位置がスタインの方がGPS測定位置よりもおよそ2'(3km)東にずれていることがわかった。3年間に及ぶ遺跡分布調査で、ほぼ住居址等の位置測定は完了した。次年度からは、光波測量計による遺跡間の正確な距離の測定、および、精密な住居址の平面図の作成を目標にする。(2)遺跡分布調査と平行して住居址の平面図作成・文物収集を行ってきたが、平面図作成に関しては、今後より精密な住居址の平面図作成の必要がある。また、文物収集については、92年度は、未開封くさび形カロ-シュティー木簡2対。カロ-シュティー文字記載の木簡数枚・卍刻印木器・紋様入り陶片・鉄製ナイフ・鉄製鏃・装飾品等を収集した。93年の収集文物の種類、数量ともきわめて多く、その中尼雅の最北端の遺跡〈93 A-10〉の東から多数の鉄製/青銅製鏃・刃物・鎧破片等のかなりまとまった武器が出たこと、その他、動物模様入り陶片・漆器片・銅鏡・木製器具、北方の新遺跡からの紋様入り土器・壷破片・石器等を収集した。これら文物は、新彊考古研究所で整理中である。さらに、次年度からはじまる発掘調査にともなって、新たな文物出土が期待できる。3年間に及ぶ遺跡分布調査で、ほぼ住居址等の位置測定は完了した。次年度から、光波測量計によるより正確な遺跡間距離の測定、より精密な住居址の平面図作成が目標となる。 3.《遺跡測量》93年度には、尼雅遺跡中唯一の集落(19戸)を形成する〈92 B-4〉(N.II)を測量した。これによって、来年度の発掘への準備が整った。 4.《墓地試掘》中国隊によって墓地の発掘が行われた。仏塔の北北東2.9kmにある墓地からは、数体のミイラや遺品多数を収集した。また、〈92 B-9〉(N.III)遺跡の南南東約500mにある墓地からは、人骨と多数の紋様入り壷を収集した。 5.《地理学調査》93年度から、新たに地理学班のスタッフが加わり、ニヤ遺跡周辺の堆積岩層の調査を行ったまた、サンプルの砂を持ち帰り、現在分析中である。 6.《新遺跡調査》石油埋蔵調査のためにタクマラカン砂漠の内奥に入った中国地質調査隊が、尼雅遺跡のさらに北方80km地点までの古代尼雅川の川床に沿って、遺跡や遺物が多数存在することを報告している。今回ラクダで3泊4日の探査旅行を実施し、総勢9名(内日本人3名)で、尼雅北方40km地点まで砂漠の中に入った。遺跡場所は発見できなかったが、多くの地点に壷や陶片・青銅器・石器等が散在していることを確認し、貴重な遺物を収集した。この遺跡群は、鉄器使用の尼雅文化より古いと推定される。 7.《化学分析用サンプル種集》100種類以上の文物サンプルを収集し、日本に持ち帰った。各専門機関に依託して、化学分析を行うよう準備中である。 8.《基準点設置》93年度、仏塔近くに測量基準点を設置した(92年度のものをより堅固なものにつくり直した 9.《収集済み文物の研究》尼雅現地調査終了後、2名の研究協力者がさらに1週間ウルムチに滞在し、新彊考古研究所/新彊博物館に保管してある文物の研究(収集文物の写真撮影・カロ-シュティー木簡の調査)をした。
|