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東南アジア・中国南部における伝統的土器作りの研究

研究課題

研究課題/領域番号 04041101
研究種目

国際学術研究

配分区分補助金
応募区分学術調査
研究機関国立歴史民俗博物館

研究代表者

小野 正敏  国立歴史民俗博物館, 考古研究部, 助教授 (00185646)

研究分担者 〓 聴  香港中文大学, 中国考古芸術研究センター, 助教授
チャリット チャイクンチ  タイ、コンケン大学, 人文科学課, 講師
ハッサン・M・アムバリー  インドネシア国立考古学研究センター, 所長
オスマン・M・ヤチム  マレーシア国立博物館, 館長補佐
新田 栄治 (新田 英治)  鹿児島大学, 教養部, 教授 (00117532)
西谷 大  国立歴史民俗博物館, 考古研究部, 助手 (50218161)
OTHMAN M.yatim  National Museum Department Director General
HASAN muarif ambary  Head of The National Research Center of Archaeology
TANG Chung  The Chinese University of Hong Kong, Institute of Chinese Studies Associate Prof
ACHAN chalit chaikunchit  Khon Kaen University Associate Professor
たん 聰  香港中文大学, 中国考古芸術研究センター, 助教授
チャリット チャニクンチ  コンケン大学, 人文科学科, 講師
ハッサン H.アムバリィ  インドネシア国立考古学研究センター, 所長
オスマン M.ヤティム  マレーシア国立博物館, 館長補佐
研究期間 (年度) 1992 – 1993
研究課題ステータス 完了 (1993年度)
配分額 *注記
6,500千円 (直接経費: 6,500千円)
1993年度: 3,000千円 (直接経費: 3,000千円)
1992年度: 3,500千円 (直接経費: 3,500千円)
キーワード東南アジア / 土器作り / 伝統技術 / 陶磁器
研究概要

香港・中国南部では、各機関の所蔵の新石器時代の遺跡出土の叩き技法の土器の調査を行い、現在の海南島から東南アジアに広がる土器の叩き技法とに多くの共通点がみられた。そのルーツのひとつが中国南部にあることを予想させた。それはタイの東北部の村で特徴的にみられた粘土の混和剤の技法、籾殻と粘土を固めて焼き、臼で粉砕した「チュア」を使うことの共通性とも関連すると推定された。
タイでは、南部の半島部と東北部の地域で、合計17カ所の土器作り村を調査した。南部では、商業生産化が進んでおり、叩き成形は残るものの、ろくろの使用が一般的であった。また、陶磁器の先進地の中部タイから導入された陶器窯が多く見られたが、伝統的な円筒式のきせる窯による村もあり、マレーシア国境に近いイスラム系の地域では、方形の穴と土を用いるかぶせ焼きも見られた。全体に南部では商業化により、生産する器種もその技術も陶器生産との同和がすすみ、また成形するものと焼成するものが分離するなど、生産や販売方法に本来の土器作りの様相は消えつつある。社会の変化に対応して技術がどう変化するのかを検証するよい地域である。
それに対し、東北タイでは、商業化は遅れており、在来の技術が見られる。基本的な成形は叩き技術であるが、第1段階の成形には、1)手づくねや棒による円筒技法、2)紐輪積みがある。焼成はいずれも野焼きである。また、この地域は、広く粘土の混和剤にチュアを使用し、この技術は先史時代にも確認できそうである。叩き板や宛具などの土器作りの道具も呼称は違うが各語の意味は同じで、タイ族、ラオ族の民族をこえて共通する。南部タイはすべて砂である。また、破損土器の上半部を成型や乾燥時の台に利用する方法も広く、台湾やフィリピンに見るものと共通する。現在の燃料は、籾や藁が主体だが、これは数十年前にこの地域の開発が進み、燃料の森の枯渇によるもので、当時は薪が主であった。東北タイの土器作りの村には中央タイのコーラートからの移住伝承を持つものが多く、近代の鉄道開通によるこの地の開発に伴う土地を、持たない流入民であることが多い。これがこの地域への土器作り村の拡散のひとつの原因になったことは推定できる。
性による分業では、土器作りはどこでも女性の仕事であるが、クメールや中国系の陶器作りに基礎をもつ村では、成形も男の仕事であり、各々の本来のあり方が示されていると理解される。また、陶器生産が共同窯の運営など組織的で、資本が必要なものであるのに対し、土器作りは、家庭に一人の主婦の個人的な生産の形であり、市場の大きさからも量産の必要がない。叩き成形はこのあり方にもっとも適した技術である。一時この地域に政府援助で導入された共同窯や轆轤が結局使われず、本来の家庭内の生産に戻ったのもそうした理由による。
インドネシアでは、東部、西部ジャワと北部スマトラで11か村を調査した。
ジャワでは、ろくろを利用した輪積み成形から叩きを加え、石による磨き調整をするのが基本である。また、器種により赤土による加飾がなされる。焼成は、野焼きが主であり、湿気抜きのための事前の仮焼きが伴う例が多い。燃料は、この地域から多くとれるサトウキビの茎やピ-ナッツの殻であり、少し併用される薪は購入するものである。まさに各地域の主産業の廃物による安価な燃料が利用される構造である。東部では14、15世紀に栄えたマジャパヒト、西部ジャワでは16、17世紀のバンテン・ラマのかつての各地域の首都であった遺跡出土の土器や土器作り集団との関連が今後の課題として問われる。西部ジャワでは、バンテン・ラマの廃絶後、そこから移住したという伝承をもつブミジャヤ村を調査し、バンテン・ラマ出土の土器や宛具の記録をとった。
スマトラでは、北部のアチェ地域で5か村を調査した。この地域は、主体の技術は叩き成形と石による磨き調整であるが、その第1次成形には実に様々な技術があるのが特徴である。例えば、ヌスウ村では、型と回転台を兼ねる器台状の道具が使われ、ウレトト村では、焼き物の型を利用しているなど、また、叩き板も羽子板型だけではなく、村により両頭型が使われるなど、東北タイにみた広範囲の共通性とは異なる様相が見られる。こうした違いがどこから生じるのか、検討していきたい。

報告書

(2件)
  • 1993 研究成果報告書概要
  • 1992 実績報告書

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公開日: 1992-04-01   更新日: 2016-04-21  

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