研究概要 |
まず,平成4年度は,最初に訪れたチムサルで,北庭都護府故城・チムサル故城・高留ウィグル寺跡を踏査・見学し,既報告による平面プランの検討などを行うことができた。ホブクサールでジュンガル王国初期の都城を実見・調査し,瓦などの遺物の散布状況を確認した。フ-インではアルタイ地区とともに岩岩の未報告資料を多数,実見・調査することができた。土〓墓すなわち墳丘墓については,これまで詳細な報告がほとんどなく基礎的データが不足していたが,ボロ市近郊のチンクラにおいて,土〓墓群の略測図を作成できたことは重要な成果といえよう。以上のように,ジュンガル盆地一帯において,日本の研究者がほとんど訪れることがなかった遺跡群を実際に踏査し,現状をつぶさに観察できた。ちなみに,ホブクサール蒙古自治県では,モンゴル族の生活実態も調査した。 平成5年度は,まず,陸路で霍城県に入り,ハザフ共和国との国境に近い阿力麻里故城を踏査した。故城はすでに破壊がいちじるしいが,その現状を写真により記録した。イ-ニンでは,弓月城と考えられる城跡の現状を確認したが,イ-ニンおよび昭蘇県では,主に土〓墓群の調査を行った。土〓墓の研究史上,重要な種場土〓墓群の一部を実見し,そのうち2基の略測を行った。同地点には,時代がさらに下降すると考えられる1基の石人墓があり,略測を行った。石人はソグト文学が刻まれた珍しいものである。墳丘は,同堤と同講をもつ低いもので,平面形が方形をなすことが判明した。類似した石人墓はロシア領内にも見い出されており、それとの関係が注目される。石人墓については、突厥の墓とする見方が強いが,調査もあまりなされていないのが現状である。このような基礎的データの積み重ねによって,広域にわたる比較検討を行う必要があろう。土〓墓については、シャールフ土〓墓群やサイリム海岸の土〓墓群も実見した。そして、チンホ-とウルムチの間に所在する鳥蘇県の古〓図土〓墓群については,略測を行うことにより群構成を確認し,また,略測図を個別に作成することができた。墳丘の周囲に列石をめぐらすものや,墳丘表面に茸石が遺存するものなどを確認できた。土〓墓については,前年度,ボロ市郊外のチンタラ土〓墓群の略測と図化を行ったが,今年度の調査結果と合わせて,今後の新〓における古代墳墓の研究にとって欠くことのできない基礎的データを得ることができたといえる。さらに,昭蘇県の郊外では,ハザフ族のパオにおける生活状況の調査も実施した。 最後に,平成6年度は,本研究3カ年計画の最終年度に当たるので,過去2年間にわたって実施した調査成果を総合的にまとめ上げることと,中国側の研究分担者ならびに研究協力者を招聘し,相互の研究討論を行うことを主眠として研究した。まず,本研究が目的とする中国の中原地区の周辺部の比較という見地から,より完成度の高い成果を得るために,これまで訪れていない中間地域を補足的に踏査し,資料収集を行う必要があった。そこで,内蒙古自治区のフフホト市付近を最初に訪れた。ここでは,漢代の長城の南側に位置する塔利故城と墳墓群を調査した。ついで訪れた寧夏回族自治区の銀川市では,青銅器時代の金山御岩画群や西夏時代の王陵群を中心に踏査した。そして,甘〓省の敦煌市付近では,莫高窟・西莫高窟・玉門関・陽関・長城などを踏査し,漢代から南北朝・唐代におよぶ遺跡群を観察した。今年度の現地調査では最後に,新〓ウィグル自治区のトゥルファンとウルムチを訪れた。ウルムチでは,研究分担者および諸機関との情報交換を行うことによって,調査の締めくくりとした。帰国後は,これまでの3年間に収集した資料の整理を改めて行うとともに,前の分析に当り,これら諸地域で各時代の遺跡の踏査と遺物の観察を行ったことを踏まえて,さまざまなレベルで発現した文化の類似性・異質性を考察することにした。なお,研究成果の一部は,九州大学国際ホールにおいて一般公開のもと,研究代表者・西谷が「長城地帯を行く」と題して講演を行った。そして,中国側の研究分担者らを招聘し,共同研究を実施した。その際,九州大学文学部において一般公開のもと,研究分担者・候が「再論・東シルクロードと日本九州」,研究協力者・黄が「ロプ・ノール地区古シルクロードの形成とその渡遷」と題して,それぞれ講演を行った。
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