研究課題/領域番号 |
04045049
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 大学協力 |
研究機関 | 立教大学 |
研究代表者 |
笠原 清志 立教大学, 社会学部, 教授 (80185743)
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研究分担者 |
ルドニツカ バーバラ ワルシャワ大学, 社会学研究所, 助教授
チホムスキ ボクダン ワルシャワ大学, 社会学研究所, 教授
BOGDON Cichomski Warsaw-University
BARBARD Rudonicka Warsaw-University
バーバラ ルドニツカ ワルシャワ大学, 社会学研究所, 助教授
ボグダン チホムスキ ワルシャワ大学, 社会学研究所, 教授
ボクダン チホムスキ ワルシャワ大学, 社会学研究所, 教授
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研究期間 (年度) |
1992 – 1994
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研究課題ステータス |
完了 (1994年度)
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配分額 *注記 |
6,000千円 (直接経費: 6,000千円)
1994年度: 2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
1993年度: 2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
1992年度: 2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
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キーワード | 1993年の選挙 / 旧共産党系勢力の復活 / 脱共産主義のプロセスの中断 / 市場経済導入のスローダウン / ハンガリーの最高裁判決 / 連帯右派とカペン / 連帯知識人と労働同盟 / 政治的取引き / 旧共産党勢力の復活 / ノーメンクラツ-ラ / ポーランド共和国社会民主主義 / OPZZ / 連帯 / 民主左翼連合 / ポスト.コミュニズム運動 / 連帯の分裂 / 旧共産党系勢力の台頭 / デコミュニゼーション / 秘密警察への協力者 / 反ナチ法 |
研究概要 |
当プロジェクトは、ポーランドの民主化のプロセスを権力を失った旧共産党の人達の立場から考察しようとするものである。当初、連帯政権は、旧共産党メンバーの公職追放、党財産の没収、秘密警察の解体、及び旧共産党メンバーの個人的責任の追求までしようとしていた。しかし、1993年9月の選挙によって、再び旧共産党を中心とした左翼連合が勝利したことによって、ポーランドにおける脱共産主義のプロセスは大きく変更された。 この選挙における一つの特徴は、共通の徹=二共産党を失った連帯勢力の分裂と危機感をもった旧共産党系勢力の統一と団結であった。民主化を進めてきた連帯勢力は分裂し、29の政党が存在していたポーランド議会は新しい合理的な経済政策を導入できないでいた。他方、旧共産党勢力は、市場経済に適応できない社会的諸階層(年金生活者、無資格労働者や失業者)を新しい支持基盤としてその支持率を拡大させ、総選挙で勝利した。しかし、勝利した旧共産党勢力は、すでにかつてのイデオロギー的立場を放棄しており、社会民主主義的立場に立っている。したがって、市場経済の導入には反対しないものの、市場経済の導入に伴う犠牲が、すべて労働者に転嫁されるのに反対するであろう。このことは、国営企業の民営化や市場経済の導入プロセスが多少、ペースダウンすることを意味している。 以上のような政治的変化によって、すでに決定し実行された脱共産主義のプロセスはそのままであったが、旧共産党メンバーの個人的責任の追求や全国労組協議会(OP22)の連帯資金のあずかり問題等はペンディングとなった。ハンガリーでは、最高裁の判決によって脱共産主義プロセスや旧共産党メンバーの追放、追求問題について一定の歯止めがかかった。しかし、ポーランドでは、旧共産党勢力が総選挙で勝利したことによって、追求がストップした。したがって、今後の政治状況の変化によっては、再びこの問題がクローズアップされたり、政治的取引きの対象となる可能性が存在している。今回のヒアリングで明らかになったことは、連帯右派、カペンそして教会勢力がもっとも苛酷な旧共産党系勢力の追放や追求を主張していたのに対して、連帯知識人、ブガイを中心とする労働同盟が一定の歯止めの役割を果たしていた点である。 東欧諸国における旧共産党勢力の台頭プロセスでは、ポーランドやハンガリーそしてチェコとでは大きな違いが存在している。ポーランドやハンガリーでは旧共産党系勢力が再び権力を掌握したが、これらの国では1989年の民主化以前に旧共産党勢力内部で若干革命派を中心とした自己革新運動が存在していた。したがって、共産党が崩壊した後にも比較的スムーズに社会民主主義的な立場から旧勢力を統合する形で運動を展開することが可能であった。ポーランドの場合、それはエルジェビエーター運動であった。また、その後、連帯政府下でのバルツェロビッチプランにみられたショック療法が社会的弱者を直撃したところから、旧共産党系勢力台頭の主体的かつ客観的条件が整ったと考えるべきである。他方、チェコでは旧共産党係勢力内での自己革新運動があまり見られず、ヌワラウス政権の漸進的な改革路線によって、ポーランドやハンガリーとは全く違った展開となった。また、ポーランドでは、連帯右派やカペンが戦後の西ドイツの反ナチ法を参考にして、旧共産党幹部の個人的責任を問うような法案を準備していた。このことは、心情的に連帯運動を支持していた旧共産党メンバーでさえ、選挙において左翼連合を支持せざるをえない状況に追い込んでしまった。共産党(統一労働者党)のメンバーは、一時期、200万人近くいたわけであるから、この人達や家族、そして関係者の数は膨大なものであり、選挙結果を大きく左右する力をもったことも見逃がされてはならない。
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