研究課題/領域番号 |
04451077
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研究種目 |
一般研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
西洋史
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研究機関 | 北海道大学 |
研究代表者 |
栗生澤 猛夫 北海道大学, 文学部, 助教授 (40111190)
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研究分担者 |
渡辺 節夫 青山学院大学, 文学部, 教授 (70036060)
東出 功 北海道大学, 文学部, 教授 (30041875)
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研究期間 (年度) |
1992 – 1993
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研究課題ステータス |
完了 (1993年度)
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配分額 *注記 |
2,900千円 (直接経費: 2,900千円)
1993年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
1992年度: 2,100千円 (直接経費: 2,100千円)
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キーワード | 中世ヨーロッパ / 国家と教会 / 東欧と西欧 / 中世ポーランド / カトリック教会と正教会 / ヨーロッパ / 中世 / 教会と国家 / 比較史 |
研究概要 |
本研究を始めるにあたって設定された課題また目的は、対立的であるとともに相互補完的でもあったと考えられる国家と教会の関係を、東欧と西欧の双方について比較史的に検討することであった。この課題は代表者がポーランドの事例を、分担者がイングランドとフランスの事例を研究し、その成果を随時もち寄って検討するという方法で行なわれた。その詳細は『報告書』に委ねるが、全体として、設定された課題が十分に達成されたとは言いがたいにせよ、それに向けての第一歩は踏みだされたと考える。以下に主たる成果を記す。中世ポーランド教会の成立について。1ポーランド教会はミェシコ一世の巧みな外交政策の結果、帝国、ボヘミア、そしてローマからも一定の自立を確保する形で成立した。2ミェシコの洗礼後30数年にしてポーランドには早くも大司教座(グニェズノ)が設立され、教会は順調な発展を遂げる。これがボレスワフ侯(のちの王)時代のポーランド国家の着実な発展により可能になったことは言うまでもないが、他方皇帝オットー三世の帝国理念との関連も看過できない。3ポーランドが最初からカトリック圏に属すことになったのには十分な理由があり、その他の可能性を考慮する必要はないが、初期の南部(小ポーランド)には、ボヘミアからスラヴ語を用いる典礼(いわゆるキュリロス・メトーディオス伝統)が伝わっていた可能性は十分にある。 他方分担者(東出)の問題関心は、中世イングランドにおける国家・教会の相互補完的関係を通時的に検証することにあるが、研究の結果、教会在籍のままで国王行政の実務を担当する、いわゆる聖職者官僚が多数存在することが明らかになり、これこそが相互補完的関係の集中的表現として注目された。代表者は東出のこの研究に触発されて、ポーランド教会史の再検討に着手したが、初期の段階ではその数量的研究は困難であった。
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