本研は、尋常小学唱歌の成立と岡野貞一の関わりを研究する目的で計画された。尋常小学唱歌の成立過程に関しては、今日まで第一次的資科に欠けていたが東京芸術大学蔵の『小学唱歌教科書纂日誌』のコピーの入手によって、飛躍的に成立過程の解明が可能となった。 『小学唱歌教科書編纂日誌』における新事実の発見は、今日まで第二次資料で語られてきた『尋常小学唱歌』の成立過程を書きかえるものであった。たとえば編纂委員の構成・作曲要件・掲載唱歌の歌纂過程、さらに製作過程での合議制、文部省の関与とその影響力の大きさなどである。中でも岡野貞一の位置づけは重要であった。それは楽曲委員に属していて、『小学唱歌集』では東京師範及び女子師範学校生徒ならびに附属小学生徒に試唱させその適宣を判断していたのを岡野の試唱という方法にかえていること、合議制で保留になった唱歌を岡野が作曲し直していること、そして今日の小学校音楽教科書の共通教材に岡野の曲が数多く指定されていることなどである。また西洋の作曲技法を用いた唱歌も岡野の「ふるさと」や「朧月夜」などの3拍子の曲が、子供達にとって必ずしも3拍子感覚ではなく、むしろ手まり歌の1拍子感覚や非アウフタクトの曲として歌われてきているという事実=あくまでも子供達は日本的であった=を裏付けている。 これらの編纂作業は、国定教科書の作成・全国各地の師範学校や現場教師・音楽教育家などの要望が背景にあった。そして最終的には平均化した歌いやすく覚えやすい唱歌を編纂していくことになる。それは一方では没個性・弱芸術的な唱歌の製作を容認せざるをえない結果を生み出し、大正期における童謡運動で北原白秋らの<小学唱歌批判>を受けることになる。 以上、本研究は当初の目的をほぼ達成することができた。
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