あるものがそれと別の何かを指示するという働きは意識の特徴である志向性の最も基本的な形態であるが、この志向的意識は外的世界から論理的に独立に取り出される個体の心理的ないし生理的な事実の内に生じるとする考えが最近にいたるまで支配的である。心身二元論、行動主義心脳一元論もすべてこの見解をとる。この内在主義、個体主義に対する批判的検討が「志向性の条件」(研究課題)の内容である。この研究を個体主義・内在主義批判として注目すべき三つの研究を手がかりとして行った。 (1)第1はH・パットナムの議論である。彼は「水」「ニレ」といった自然種の名前の機能の考察を通して、「頭の中の意識だけでは対象指示は成立しない」ということを明らかにし、対象指示の条件として、自然的文脈、社会的文脈の重要性を指摘する。 (2)このパットナムの論点をT・バージは単に自然種の名前だけではなく、「関節炎」「ソファ」といった言葉の機能にまで拡張し、言葉による対象指示の条件としての社会的文脈の機能を説得的に展開している。しかし問題は個人の頭の中にある志向的意識と社会的文脈や自然的文脈の関係をどう解するかということである。その関係はパットナムの場合けっして明らかではない。 (3)筆者は内在主義、個体主義を退けながら志向性を説明するものとしてG.エバンス、J.マクダウエルの仕事が重要であると考える。彼らは従来のフレーケ解釈を退け、思想(Gedanke)が成立するためには対象の存在が不可欠であるという見解を提示する。この見解は内的世界(意識)と外的世界の関係について従来の考え方を変えるものであり、より根本的な内在主義批判であると筆者は考える。その線にそって志向性の条件をめぐる考察を続けるつもりである。
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