研究概要 |
松永は,仏教が定着していない鹿児島県徳之島において,死の儀礼にかかわって「神葬祭」の研究調査を実施し,死者が死後神となるプロセスを分析した。当地において家内部には先祖神のみが祭られ,死者と先祖神とのかかわりにおいて死の観念上よくいわれている死の穢れということはいえず,死の穢れの概念は,本土と比較するとき,ムラの氏神に祭られている神その他外来神とのかかわりで認められるということがいえそうである。そのために,死の穢れの観念を神の種類との関係において分析的にみる必要があるということが研究調査の一つの結果である。 片多は,人口100万人以上の社会としては世界一長寿である沖縄を調査地に,長寿の社会文化的要点を分析し,とくに健康と長寿を祝う沖縄に独特の儀礼を焦点に研究した。その結果,数え年85歳,97歳に行われる儀礼が,天寿を全うし安らかに死を迎える準備として機能していることが判明した。また,このような長寿儀礼は沖縄の伝統文化が生みだした人生終末期の儀礼であり,(1)仮葬儀の意味合いをもつ,(2)この機会に人々のつながりが再確認,再強化される,(3)長寿者の死への移行をスムースにする,などから長寿から死への通過儀礼としてとらえられることを提起した。 中西は,沖縄において数え年の13歳から97歳まで12年毎に行われるトゥシビ-と呼ばれる年祝いの儀礼に注目し,中でも88歳のトウカチ,97歳のカジマヤ-の現地調査を行った。具体的には沖縄県北部の名護市と本部市をフィールドに,長寿を祝う儀礼についての民俗知識や観念についての聞き取り調査と参与観察を実施した。その結果,長寿儀礼の中に高齢者をめぐるコミュニティーの紐帯の強さを確認できた。しかし,その伝統が儀礼を家単位で行う傾向とともに弱体化する可能性を示唆した。また,長寿者に「アヤカル」という観念と行為を長寿以外の文脈でみていくことが今後の課題として残された。
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