研究課題/領域番号 |
04610226
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
東洋史
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研究機関 | 京都外国語大学 |
研究代表者 |
堀川 徹 京都外国語大学, 外国語学部, 教授 (60108967)
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研究期間 (年度) |
1992
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研究課題ステータス |
完了 (1992年度)
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配分額 *注記 |
1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
1992年度: 1,100千円 (直接経費: 1,100千円)
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キーワード | ウズベク民族 / 遊牧政権 / イスラーム社会 / アフマド・ヤサヴィー廟 / ナクシュバンディー教団 |
研究概要 |
本研究では、ウズベク民族形成期における遊牧政権とイスラーム社会、特に、スーフィー教団との関わり解明に重点を置き、実施計画を沿って研究を進めることにより、主に以下の二点について新知見が得られた。 1.15世紀中葉に、アブル・ハイル・ハーンは遊牧ウズベク族をまとめ、中央アジアの草原地帯に強力な遊牧政権を確立した後、ティムール朝の内政に干渉する等勢力を伸張させた。その最大の要因は、シル河中流域諸都市の占領であった。この地域の政治的・経済的・軍事的重要性については既に指摘したが、それ以外に、アフマド・ヤサヴィー廟のあるヤス(トゥルキスターン)に関しては、廟が都市住民のみならず周辺の遊牧民からも深い尊崇を受け、アブル・ハイル及び夫人も廟内に葬られている点を考慮すれば、彼の政権強化の要因を考える際には、この町が持っていた宗教的意義を強調する必要がある。同時に、今後スーフィー教団ヤサヴィーヤの活動と政権との関わりを調べていかねばなるまい。 2.16世紀に遊牧ウズベク族が中央アジアのオアシス地帯を征服した後、イスラーム社会を支配する際に、ナクシュバンディー教団を政権内に取り込んだことは知られている。特に、ジュイバリー派は、16世紀後半にアブドゥラー・ハーンがブハーラーを入手した後に抬頭したと考えられていたが、既に1512年にウズベクがティムール家のバーブルに逐われて北方へと逃れた時に、ジュイバリー家の長老が、ブハーラーの支配者ウバイドゥラー・ハーンと共に北へ向かったことが判明した。ウズベク政権とジュイバリー家との関係を考える際、今後、ブハーラーの町を基軸に据えて、個々の政治的現象を分析する必要があろう。 以上のほかに、民族形成期の諸問題を考察する際にも、現在のウズベキスターンが直面している様々な問題と関連づけて研究を進める必要性を痛感していることを付記したい。
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