本研究は1910年の朝鮮総督府設置から1945年の植民地統治終焉までの36年間において、朝鮮における言論機関の果した役割を政治的観点から明らかにしようとするものであった。言論機関を(1)邦字紙、(2)韓字(ハングル)紙とに分けて、研究の結果得られた知見を記すこととする。 (1)邦字紙-発行邦字紙数は時期によって異なるが40種以上にのぼり、その果した役割も多様である。第1に総督府機関新聞とされる『京城日報』の果した役割は特筆されるが、これについては「現地新聞と総督政治-『京城日報』について-」という論文を成果として発表し、同紙の人的構成、経営面の特性、論調の変遷、総督府との関係などについて詳細な分析を試みた。同紙は時期によりその性格を異にし、総督政治との緊張・対立をはらんだ時期と純然たる御用紙的役割を果した時期とに分けられ、とくに緊張期に生彩のある紙面を構成したこと、朝鮮人記者の重要なリクルート源であったことなどを明らかにした。第2に他の邦字紙は概ね日本人の朝鮮進出と朝鮮人独立運動の弾圧とを主張し、『京城日報』よりも尖鋭的な時期もあったが、時代が下るにつれて『京城日報』の独占体制構築の前にその下請的役割に甘んじてゆくことを明かにした。 (2)韓字(ハングル)紙-1920年代「文化政治」の開始により発行が許可され、朝鮮人の言論表明・政治表明・政治参加の機会の増大をもたらすチャネルとなったが、総督政治に対する支持調達よりも要求・抵抗の性格を多くもち時として弾圧を蒙った。しかし1930年代に発行部数の増加とともに商業化し、この中から民族的伝統を守りつつ総督政治に一定の支持・合意を与える部分も現われた。この中から戦後韓国の言論界、政界を担う人々が養成された(尖鋭化した部分は弾圧された)。この意味で言論は政治参加と主張穏健化、民族的伝統維持の主要な担い手としての役割を果した。これらの点については第2の論文で成果を発表する予定である。
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