研究概要 |
本研究では,わが国の伝統的な理科教育研究の一分野にまでなった簡易実験の開発研究の盛衰とその研究の継続への努力の跡を明らかにすることができた。 (1)1880年代前半には,自然科学関係の初等用教科書の巻末に,著者が独自に選定した実験器具・薬品の目録を付したものが出現し,「理化器械」や「簡易器械」を採り上げた実験書の出版ブームを迎えている。 (2)そのブームは,文部省による実験器具や実験教授法の普及と密接に結びついたものであったこと,また,教育博物館による実験器械の斡旋・普及,科学啓蒙とも結びついたおおがかりな動きであったことを明らかにした。 (3)その実験奨励は,1880年代の後半に影を潜めている。ところが、本研究では,高等師範学校にあって簡易理化器械の制作・指導にあたっていた後藤牧太が,その弟子たちとともに,簡易理化器械の開発研究を継続していたことを明らかにした。 (5)他方,1900年前後に「理科」教材の選択・配列研究に取り組んだ棚橋源太郎は,1908年に国定理科書が発行されて教育現場での教材選択の大勢が決すると,「教具」の研究へと移っている。その教授用教具の研究で簡易実験を取り入れようとしていた。 (7)また,「教育品研究会」の結成は,棚橋の教具研究と後藤らの簡易理科実験研究との連携を密にとる場になった。その中での研究成果が,第一次大戦直後に起こった「生徒実験奨励」を研究面で支えることになったことを明らかにした。 (8)「生徒実験奨励」の動きは,設備・器具の調達に中心的な関心が移り,すぐに消え去ってしまったが,簡易理科実験教材の開発研究だけは,教育現場での研究を中心に定着していったことを明らかにすることができた。
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