1 昭和20年度後半期 -「墨ぬり」-国語教科書期- 終戦直後、九月を迎えると学校は再開され、基本的な教科として国語科は直ちに授業が実施されることになった。が、その混乱ぶりは一様ではなかった。教科書を使おうとしてもその教科書を戦災で失っていたり、小学校では父親が筆記して教科書を作成したものや、中学校では生徒自らが作成したりしたものさえあった。初期の9月3日には、静岡県で旧教科書をそのまま用いた「東郷元師」の授業が戦前の形で行われたりもしている。 9月20日、文部省より発せられたいわゆる「墨ぬる通牒」によって、現場は一斉に教科書の削除・修正に迫られた。この通牒は言わば概略が示されたものであったが、明けて昭和21年1月25日に発せられた第二次の「墨ぬり通牒」はGHQとの協議を経たもので、GHQによる巡検もあったりして、現場はさらに混乱を極めた。こうして昭和20年度の後半は、教科書の削除・修正作業で忙殺されたのであった。 2 昭和21年度 -暫定国語教科書期- 昭和21年度を迎えて暫定国語教科書が発行されるようになると、教育体制も次第に整備されてきて教科書所収の教材に関する教材研究、あるいは指導展開例が、「国語創造」「国語文化」「教育技術」などの各種の教育雑誌に精力的に紹介され、実践の参考として供されるようになってきた。一方、国語教科書に掲載された教材数が少なかったため、雑誌「国民教育」や信濃教育会などては補充教材の発掘が大きな課題として取り組まれた。また師範学校(奈良女高師・東京女高師・三重師範など)の附属国民学校では、「新教育」の斬新な指導法を求めて積極的に努力が重ねられた。こうした中から、やがて「単元学習」を模索していく動きが活発になるのである。
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