研究課題/領域番号 |
04801002
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
哲学
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研究機関 | 茨城大学 |
研究代表者 |
守屋 唱進 茨城大学, 教養部, 教授 (90137026)
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研究期間 (年度) |
1992 – 1993
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研究課題ステータス |
完了 (1993年度)
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配分額 *注記 |
1,300千円 (直接経費: 1,300千円)
1993年度: 500千円 (直接経費: 500千円)
1992年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | 出遇い / 偶然性 / 自己 / 他者 / 道徳的葛藤 / 感情 / 価値を見る / 自己と他者 / 規範 / 価値 / 価値への眼差し(注視) / 内なる自己との出遇い / 自己反省(self-reflection) / 内面への眼差し / 超越 / 人柄(エートス) / 行為 / エンデコメノン(許容様相) / 自然的 |
研究概要 |
愚見によれば、倫理学には「出遇いの倫理学」と「(出遇いのない)孤高の倫理学」という二つの類型があるように思う。前者はアリストテレスに代表される現実主義的な(?)倫理学であり、後者の典型はカントの理想主義的・観念論的な倫理学である。報告書のA部では、「カント型倫理学」を阻却し、「アリストテレス型倫理学」を採るべき根拠の一端を示すことを目標とする。すなわち、私としては、「出遇いの倫理学」の重要性を明らかにし、そちらに肩入れしたいのである。その際ポイントは、「偶然性」という概念の内に「自我論」・「他者論」の鍵があるのではないか、ということである。といっても、あらかじめ自己と他者とがあって自己が他者に出遇うのではない。そうではなく、「出遇い」という偶然が起こって、そこにはじめて、自己は他者に対する自己として、他者は自己に対する他者として、生成するのではないか、と考えている。 報告書の後半部Bでは、自己がどこまでも自身の問題として引き受けねばならない問題の一つとして、「道徳的葛藤と自己」の問題について考える。私の考えによれば、道徳的葛藤はそれが極めて深刻な場合自己を捉えて決して解放しないアポリアなのである。そのような葛藤は他者の容喙する余地がない。また、道徳的葛藤は、Aの問題項目の一つである「感情」の問題と深く関わるはずであろう。B:「道徳的葛藤と自己」は、「出合いの倫理学」の「自己論」を、かかる角度から補強するものとして書かれている。最後に(C),残された課題にふれて稿を閉じている。
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