研究課題/領域番号 |
04801009
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
美術史
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研究機関 | 富山大学 |
研究代表者 |
岩井 瑞枝 富山大学, 人文学部, 助教授 (00223363)
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研究期間 (年度) |
1992 – 1993
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研究課題ステータス |
完了 (1993年度)
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配分額 *注記 |
1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
1993年度: 400千円 (直接経費: 400千円)
1992年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | フォンテーヌブロ-派 / 祭礼 / 入市式 / カトリーヌ・ド・メディシス / アントワーヌ・カロン / ヴァロワ朝 / フォンテーヌブロー派 / 人市式 / 宗教戦争 / エンブレム / タイポロジー |
研究概要 |
王と市民、そして王と市の聖職者の間で交わされる相互契約としての性格の成立が確認されるのは、14世紀中葉になってからのことである。市門を通過した入市式の行列は市の主要な聖堂に向かい、入市式は、教会の権利の擁護を宣誓した王が〈テ・デウム〉の儀式に参列し、神への賛歌に重ねて王権の神性が謳われる中で幕を閉じたのであったが、この定式は、16世紀の〈異教的な〉宮廷祭礼においても基本的には変化することなく継承されたのであった。〈聖史劇〉は、1380年のその誕生と同時に祭礼にも登場し、王と王国に擬えることのできるテーマが上演されていた。しかし祭礼は、領域国家を目指していた体制が中央集権体制をも目指すに及んで、王国の重要な政治的契機となり、聖史劇も次第に華麗な政治的寓意劇へと転身していった。 イタリア戦役以来、祭礼にも新たな異教的主題が登場し、フランソワ1世の到来とともに、祭礼の空間は〈古代風の〉建築的舞台装置に覆われるようになるが、入市式は依然として、伝統的な行程を辿り、聖堂における〈テ・デウム〉によって完結し、さらには中世以来の病を癒す王の奇蹟の力を開示する儀式さえ行われていたのであった。人市式における王と王権称揚のための舞台が、フォンテーヌブロ-派の芸術にも深く浸透していたことは、王の神格化で終わる「フランソワ1世のギャラリー」のプログラムや、凱旋門形式で建立されているルイ12世、フランソワ1世、アンリ2世の墓廟に顕著に反映されている。宗教戦争の時代の宮廷祭礼を司ったのは、カトリーヌ・ド・メディシスであったが、アントワーヌ・カロンの「アウグストゥス帝とティブルのシビュラ」(v.1580)は、王国の聖なる系譜とともに、王によって実現されるはずの、戦争の脅威が消え去り統一された未来の王国が予表され、ヴァロワ朝末期の祭礼においてなお政治的聖史劇が上演されていたことを証言している。
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