日本国内における自然条件を異にする4ヶ所の稲作地(長野県長野市の扇状地に広がる稲作地・新潟県松ノ山町の山間傾斜地にある棚田稲作地・種子島および沖縄本島における二期作地)を調査地に選定し、それぞれの稲作地における昭和初期の水田環境と稲作技術を復元し、そこで行われた漁撈・狩猟・畑作について聞き取り調査を行った。 その結果、水田水利の制御レベルにほぼ対応するかたちで、水田を舞台として漁撈・狩猟・畑作が行われていたことがわかった。最も高度な水利制御の段階にあった扇状地の稲作地においては、二毛作による大麦小麦栽培・畦畔での小豆大豆栽培・水田内におけるコイの養殖というように、実に高度に稲作活動に組み込まれるかたちで他生業が行われていた。また、その他の稲作地においても、その地域の自然条件に合わせて、水田内において漁撈や狩猟が行われていた。 そうした水田を舞台として行われた漁撈や狩猟に技術は水田内の特有な環境条件に適合するように特化したものが多いといえる。漁撈技術では、ウケなどの小型で定置性の陥穽漁法がさまざまに発達していたし、狩猟技術でいえばトリモチを用いた罠猟法が多くみられた。 かつて農薬や化学肥料が多用される以前の水田は住民にとって漁撈や狩猟の場として重要な意味をもち、その地域の自然条件と水利の制御レベルに応じて、さまざまな形で自給的活動として漁撈や狩猟が行われてきたといえる。そしてそうした水田内の他生業活動によりもたらされた魚や水鳥は稲作民にとって貴重な動物性タンパク質源となっていたし、二毛作や畦畔栽培によってもたらされる麦類や豆類は稲作民にとって米を補う主食糧の一部として用いられたのである。ただし、食生活全般における水田内他生業の位置付けは今後の課題である。
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