研究概要 |
本研究では,ジェームズ一世の「忠誠の誓い」論争をめぐって2年間に亘り,最初はロバート・パースンズ,ウィリアム・バーロー,ジョン・ダンの「忠誠の誓い」への態度を明らかにし,次に,ジェズイットの「王殺し」をマリアナとの関係から論じた.最初の研究においては,ダンがいかにして彼の前のバーローの王擁護の欠点を『偽殉教者』で克服しているかを扱った.バーローが成功しなかったのは,彼が単にパースンズと同じ反論形式に従っていたためであった.「忠誠の誓い」の内容吟味,教皇教書批判,ベラルミーノ批判という方法をバーローは取り入れたために,パースンズの反論を繰り返しているという印象を与える.ダンは,バーローの欠点を知り,彼独自の方法で「忠誠の誓い」を論じた.ダンは,バーローが論じなかったあるいは論じても不十分な「忠誠の誓い」の問題点--王への服従,「忠誠の誓い」の世俗性,王権神授説--を取り上げた.ダンの『偽殉教者』はその論理性,資料の詳細な吟味によって,バーローの書をはるかに凌駕していることが明らかになった. 「忠誠の誓い」で王が最も反対したのはカトリック側の「王殺し」容認であった.この理論を編み出したと言われるホアン・デ・マリアナは,しかし,彼の『王と王の教育について』で「暴君殺し」を論じているだけで,「王殺し」は論じていない.誤ったマリアナ観が一般に流布し,マリアナ=王殺し論者というレッテルが彼に張られることになった.第二の論文では,ジェズイットの王観とジェームズ王の王権神授説との相違を踏まえたダンが,いかにジェームズ王と歩調を合わせているかを扱った.ジェズイットの民衆による権力の王への譲渡説とジェームズ王やダンの王権神授説はいかに根本的に食い違っているか,それゆえ,彼らの対立は決して妥協点を見いだすことができなかったかが明らかになった.
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