研究課題
特別研究員奨励費
本研究ではまず、主要な史料『バビロン天文日誌(以下「日誌」)』の史料的価値の検討を行った。具体的には、アレクサンドロス大王のバビロン入城と、アルシャク朝のミフルダートI世のバビロン入城の記事を比較した。そこでは前者がバビロニア人にとっての「世界の王」として描かれているのに対し、後者も王ではあるものの、単に当時バビロンで有力であったギリシャ・マケドニア系市民によって王に推戴された者としてしか描かれていないことを明らかにした。このような差異は、『日誌』の書記が属するバビロンの原住民の共同体と王権との関係が、2世紀のギリシャ・マケドニア系市民の流入によって疎遠になったことが影響しているものと思われる。続いて、アルシャク朝のバビロニア支配確立期の歴史に大きな影響を及ぼしたと思われる、前126/5年から106/5年にかけての「アラブ」と呼ばれる集団の侵入という事態の展開を、『日誌』から再構成した。前125/4年に「アラブ」の行動は略奪、交通遮断、バビロンの城壁破壊等の行為にエスカレートした。このような行動に対し、当初一部のバビロン住民は贈物を与えることで対処した。しかし、それはバビロンのコミュニティを代表するような人々による行動ではなかった。前123/2年頃にバビロニア諸都市における抵抗が次第に組織されると、そのような行動は見られなくなっていく。しかし、「アラブ」に対する抵抗はすぐ効果をあげたわけではなく、前120/19年から119/8年にかけても断続的に「アラブ」による略奪が続き、バビロン住民はバビロンから疎開しなければならなかった。「アラブ」の軍事的敗北が前112/1年の日誌に記録されているが、これによって「アラブ」はある程度の損害を被ったと思われる。そして、前106/5年に「アラブ」が「ユーフラテス河畔のセレウキア」と呼ばれる都市へ退いたことは、おそらくは「アラブ」による動乱の終結を告げるものであった。
すべて 2006 2005
すべて 雑誌論文 (6件)
Nouvelles Assyriologiques Breves et Utilitaires 2005/4または2006/1(発表予定)
3^<rd> International Conference on Ancient History, Proceedings (発表予定)
オリエント 第48巻第2号(発表予定)
Nouvelles Assyriologiques Breves et Utilitaires 2005-1または2005-2(印刷中)
オリエント 47巻2号(印刷中)
130000841431