研究課題/領域番号 |
05041004
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
大貫 良夫 東京大学, 教養学部, 教授 (00126012)
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研究分担者 |
TOSSO Walter ペルー財団法人天野博物館, 客員研究員
CARRION Luce ペルー国立人類学考古学博物館, 調査員
坂井 正人 日本学術振興会, 特別研究員
井口 欣也 日本学術振興会, 特別研究員
松村 博文 国立科学博物館, 研究官 (70209617)
関 雄二 東京大学, 総合研究資料館, 助手 (50163093)
加藤 泰建 埼玉大学, 教養学部, 教授 (00012518)
WALTER Tosso The Foundation of Amano Museum.Researcher
LUCENIDA Carrion National Museum of Anthropology and Archaeology.Researcher
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研究期間 (年度) |
1993 – 1994
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研究課題ステータス |
完了 (1994年度)
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配分額 *注記 |
26,000千円 (直接経費: 26,000千円)
1994年度: 13,000千円 (直接経費: 13,000千円)
1993年度: 13,000千円 (直接経費: 13,000千円)
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キーワード | 古代アンデス文明 / 形成期 / 神殿遺跡 / ペル- / クントゥル・ワシ / 中央アンデス / 新大陸先史学 / カハマルカ |
研究概要 |
平成5年度と6年度にわたって、南米ペル-国北部カハマルカ県のクントゥル・ワシ遺跡で発掘調査及びその資料の整理分析を行った。また、平成5年度には同県のラ・ボンバ遺跡においても発掘調査を行った。 クントゥル・ワシ遺跡は、中央アンデス形成期(紀元前2000年から0年ころ)中期から後期にかけての祭祀建築(神殿)遺跡のひとつである。アンデス文明の起源と形成過程には、祭祀儀礼の場としての神殿の建築や維持が深くかかわっていた、という見地のもとに集中的な神殿遺跡の発掘を行った。以前の同遺跡調査(昭和63年度〜平成元年度、平成2年度)では、基本的な建築と土器の編年が明らかになったとともに、アメリカ大陸最古の部類に属する黄金製品の副葬品を含む数基の墓が発見され、この遺跡の重要性があらためて確認されていた。 今回のクントゥル・ワシ遺跡発掘調査の主たる目的は、それまで十分に調査されていなかった遺跡南部の建築プランを明らかにすることであった。とりわけ、以前からその存在が確認されていた第2時期目(クントゥル・ワシ期:B.C.700-450)の円形半地下式広場の全面的な発掘を目的としていたが、調査の過程でこの広場が第三時期目のコパ期(B.C.450-250)に完全に埋められ、その上に多くの建築物がつくられていたことが分かった。さらにこのコパ期の建築は、非常に複雑な構造を成し、しかも数回にわたる改築を行っていることが分かった。また比較的建築の保存状態が良好であったため、結果としてはこの時期の建築構造及び増改築の過程を明らかにしたことが、大きな成果のひとつとなった。コパ期は、高地にあるクントゥル・ワシにあって、海岸部の強い影響を受けていたクントゥル・ワシ期に続く時期である。依然として海岸的な要素や前時期の建築を一部に踏襲しながら、この地に独自の活動を展開し始めた重要な時期であった、との見通しは以前からもたれていた。しかし、予想以上にその活動が遺跡の広範囲に広がり、かつ活発であったことが明らかになるに及び、この時期のクントゥル・ワシにおける位置付けについての再考を要する結果となった。 今回のクントゥル・ワシ遺跡の調査で明らかになったのは以下の点である。 1.これれまでに得られた絶対年代の測定値とあわせ、クントゥル・ワシにおける基本的編年、すなわち、イドロ期(B.C.1100-B.C.700)、クントゥル・ワシ期(B.C.700-B.C.450)、コパ期(B.C.450-B.C.250)、ソテ-ラ期(B.C.250-B.C.50)を再確認した。 2.おもにクントゥル・ワシ遺跡大基壇上南部における、神殿建築の合計7フェイズ(イドロ期1,2,クントゥル・ワシ期,コパ期1,2,3,4)を確認した。 3.同大基壇の南西部を支える三段の石壁(クントゥル・ワシ期、コパ期)及びこの基段に上がるための段階の存在が明らかになった。 4.コパ期の建築において、非常に複雑な構造をもつ水路が張り巡らされていることが分かった。この水路が神殿の儀礼活動と深くかかわっていたことは間違いなく、貴重な資料となった。 5.あらたに二つの石彫の発見があった。ひとつは平成5年度の調査によるもので、半地下式中央方形広場の北西側の階段を構成しており、かねてからその存在が予想されていたものであった。もうひとつは、平成6年度の調査では発見されたもので、中央基段の南西部近くの埋め土から出土した。 6.大基壇上南部には、比較的厚いイドロ期の堆積層があり、これまで不足していた同時期の土器資料が多く得られるという成果があった。 また、当初予定していたヘケテペッケ河谷の一般調査は、クントゥル・ワシ遺跡調査展開の都合上実施することができなかったが、代わりに北部山地のワラス地方を中心とする短期の一般調査を行い、いくつかの遺跡の分布と時期同定に関する重要な資料を収集することができた。
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