研究課題/領域番号 |
05041019
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 立教大学 |
研究代表者 |
小西 正捷 (1993, 1995) 立教大学, 文学部, 教授 (10161960)
青柳 真智子 (1994) 立教大学, 文学部, 教授 (00089278)
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研究分担者 |
近藤 英夫 東海大学, 文学部, 教授 (70119676)
後藤 健 東京国立博物館, 西アジア, エジプト室 (40132758)
青柳 真智子 立教大学, 文学部, 教授 (00089278)
中山 誠二 山梨県埋蔵文化財センター, 主任文化財主事
宗臺 秀明 鎌倉考古学研究所, 研究員
小西 正捷 立教大学, 文学部, 教授 (10161960)
宗壹 秀明 鎌倉考古学研究所, 研究員
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研究期間 (年度) |
1993 – 1995
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研究課題ステータス |
完了 (1995年度)
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配分額 *注記 |
20,000千円 (直接経費: 20,000千円)
1995年度: 4,000千円 (直接経費: 4,000千円)
1994年度: 8,000千円 (直接経費: 8,000千円)
1993年度: 8,000千円 (直接経費: 8,000千円)
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キーワード | アラビア湾 / バハレーン / バルバル文化 / アイン・ウンム・スジュール遺跡 / アイン・ウンム・エッ・スジュール遺跡 / 湾岸 / アイン・ウンムッスジュール / 井戸状遺構 / 奉献台 / クロライト製容器 / 紅玉髓ビーズ |
研究概要 |
バハレーン国アイン・ウンム・エッ・スジュール遺跡の第4次調査を行った。今回の調査が、同遺跡に対する最終調査である。 遺跡は、バハレーン本島北西部、現ディラ-ズ村に位置する。1954年にG=ビビ-により発見・調査された。ビビ-はこの時点で、井戸を発見している。ビビ-は、出土遺物(アラバスター製容器、石製動物像)から、この井戸を「聖なる井戸」と解した。 われわれは1993年から、本科研による調査を行ってきた。これまで、1号井戸を再調査するとともに、新たに2号井戸を発見した。 再調査の結果、1号井戸は、ビビ-が考えたような「地下式」の構築物ではなく、「地上構築物」であること、かつそれが、最初に構築されてからおよそ500年で、吹き寄せる砂のため埋まってしまったことが、明かとなった。 この1号井戸に近接して、2号井戸が在る。この新たに発見した井戸は、1号井戸がほぼ埋没した頃に「地下式」の構築物として造られた。構築法は違うものの、1号井戸と2号井戸の平面形態は同じで、ここから2号井戸も「聖なる井戸」の可能性があるとすることができる。 これまでの調査で、1号・2号、1号が古く、2号が新しいという新旧の関係が把握でき、さらに二つの井戸の構造についても一応の調査を完了している。この遺跡は、前三千年紀末〜前二千年紀中葉にかけて、おそらくは儀礼的施設である二つの井戸(1号、2号井戸)を中心に展開した遺跡であるという一応の結論を得た。 2つの井戸の性格、構造を理解した後、新たにわれわれは以下の目的を設定し調査に臨んだ。すなわち、(1)1号井戸より古い施設が存在するか、否かの確認。(2)1・2号井戸に伴う儀礼行為を検証する。そうして調査を行った結果、以下のことがらを確認した。 1号井戸の東側を調査したところ、新たに、石で枠組みをしただけの井戸を発見した(3号井戸)。この井戸は、1号井戸よりも古くに構築され、1号井戸が儀礼的施設としてつくられた段階では放棄されていたようである。 1・2号井戸の内側では、階段を降りて水口に達することがその構造から見て取れる。さらに1号井戸の外側からは何回にもわたって火を焚いた跡を発見した。 こうした諸々の調査所見から、前三千年紀末には遺跡内の何か所かに井戸等の施設がつくられ、少し後に、儀礼的施設である1号井戸がつくられた。その後、1号井戸の周辺では火を焚くなどの儀礼が行われた。このように考えられる。 アイン-ウンム-エッ=スジュールの調査は、上にみた儀礼行為を行う場として遺跡が存立したことを明らかにした。前二千年紀初頭は、バハレーン本島は、古代湾岸交易で中心的役割を果たし世界史上に登場する時期である。今回調査した遺跡もまさにその時期の遺跡の最終的な解釈はなお今後の分析を待たねばならないが、今回のさまざまな発見が、往時のバハレーンを復原する重要な手がかりとなることは間違いない。 最後に、われわれのこれまでの調査結果を受けて、バハレーン考古局は、本遺跡を同国の史跡として保存する方針を明らかにした。これは、調査の最も大きな成果の一つといえよう。
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