研究課題/領域番号 |
05041028
|
研究種目 |
国際学術研究
|
配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 弘前大学 |
研究代表者 |
北村 光二 弘前大学, 人文学部, 教授 (20161490)
|
研究分担者 |
河合 香吏 京都大学, アフリカ地域研究センター(日本学術振興会), 研究員(特別研究員)
作道 信介 弘前大学, 人文学部, 助教授 (50187077)
太田 至 京都大学, アフリカ地域研究センター, 助教授 (60191938)
ワンディバ シミュ ナイロビ大学, アフリカ研究所, 所長
|
研究期間 (年度) |
1993 – 1995
|
研究課題ステータス |
完了 (1995年度)
|
配分額 *注記 |
19,500千円 (直接経費: 19,500千円)
1995年度: 6,500千円 (直接経費: 6,500千円)
1994年度: 6,000千円 (直接経費: 6,000千円)
1993年度: 7,000千円 (直接経費: 7,000千円)
|
キーワード | トゥルカナ / 牧畜民 / 近代化 / 社会変容 / 食料援助 / 難民キャンプ / 学校教育 / 認識論 / 開発援助 / マーケット / ライフ・コース |
研究概要 |
本研究は、ケニア国のトゥルカナ族の集中調査を核として現在牧畜社会において進行している「近代化」へと向かう社会変容の過程を解明することを課題として立案されたが、調査開始時に調査地域内に大規模な難民キャンプが開設されるという予想外の事態があり、そのような特殊な状況下での調査を強いられることになった。しかし結果的には、このような事態は、当初の研究目的に沿った調査と展開するうえで格好の題材を提供することになったと考えられるのであり、興味深い成果を手にすることができた。以下に、1.特に外部から流入する物資や現金への依存にともなって起こっている生業構造の具体的な変化と2.トゥルカナの内部で完結していた彼らのものの考え方が通用しなくなったことにかかわる、今後の変化を方向づける「認識論的」変化の二つの点について、研究実績を概観する。 1.については、外国の援助団体による食料援助への依存という要因も重要であり、自給的な牧畜という伝統的な生業活動以外の領域の比重の増大という傾向が強化されている。1)外部からの物資や現金への強い志向:キャンプでの雇用によってもたらされる現金に強く執着し、難民との間で可能な物資の交換のチャンネルを手あたり次第に試みている。また、キャンプ開設にともない外部から多くの商人が流入して、カクマの町に新しい市場が形成されたが、トゥルカナ自身もそこでの商業活動に否応なく巻き込まれつつある。2)キャンプや町周辺への移住:食料援助の配給や難民との物資の交換、市場での商業的交換の機会を求めて、多くのトゥルカナが移住することによって、伝統的牧畜のあり様にも影響を及ぼしつつある。3)市場での家畜の売却:キャンプ開設当時は、難民との機会的な直接取引が中心だったが、それが市場での売買に統合されて定常化し、家畜の現金化という生業構造に根本的変化をもたらす問題が新たな局面を迎えつつある。4)トゥルカナ内部への現金経済の浸透:以上の変化にともなって、さまざまなトゥルカナどうしの「交換」活動が現金を介したものへと変化している。伝統的な病気治療に現金が支払われ、伝統的な加工品も現金で売買されるようになっている。 2.の問題は、その影響を直接観察しにくい事柄であるが、今後の変化を方向づける重要なものだと考えられる。1)「雇用」という生活形態の社会的認知の拡大:現金への依存の拡大にともない、家族集団内から雇用者を出そうとする意欲が強まっている。2)学校教育の認知:「雇用」はもっぱら学校教育を受けた者を対象とすること、そして70年代末の干ばつ時に「緊急避難的に」学校に入り、その後伝統的生業の担い手に戻りえぬままに現在「待機中」の状態にある者が無視しえない数になっていることがその背景にある。「子どものうち何人かは学校へ」という考え方が後押しする学校教育の普及は、伝統的生活からの離脱を促進するきわめて直接的な要因として作用する可能性がある。3)他民族との共存を前提とする「近代的」世界観への譲歩:キャンプ開設以来、難民との間でさまざまな紛争が持ち上がったが、その調停においてトゥルカナ的直接交渉の試みはまったく空回りに終わり、彼らの力が及びえない外部的な基準にもとづく判断に単純に飲み込まれることとなった。4)外部に支えられる新しい価値基準の生成:このような変化は、ある期間に起こった過程として具体的に把握することはほとんど不可能であるが、たとえば「病気治療」という領域において、その変化の動きが顕在化しつつある。外部に由来する技術体系を用いる「治療師」の影響力が高まり、病気を他の不幸とは区別して実体化することを背景として、病気治療を具体的な技術として捉えるものの見方が顕在化してきている。それにともなって、病因についての興味を基本的に欠いているトゥルカナの伝統的「病気観」とは異なる、排除されるべきものとしての病気の原因という新しい病気理解が、急速に広まりつつあるようにみえる。 このような「変化」が明らかになってきている一方で、トゥルカナの伝統的生業構造やそれを支える「認識論」が、根本的な動揺にさらされて混乱をきたしているというのでは決してない。全体としてみればそれは、このような大きな変動期における一つの「文化」の主体的な「適応」の過程なのだと考えられるはずである。このような過程を追跡する調査・研究がさらに積み重ねられる必要性を痛感した。
|