研究課題/領域番号 |
05041075
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 学術調査 |
研究機関 | 琉球大学 |
研究代表者 |
池田 孝之 琉球大学, 教養部, 教授 (70145548)
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研究分担者 |
MATSUOKA Mar カリフォルニア大学, 研究員
山口 洋子 あい造園設計事務所, 沖縄事務所, 代表
平良 博紀 沖縄地域科学研究所, 研究員
清水 肇 琉球大学, 教養部, 講師 (40244280)
國吉 真哉 都市科学政策研究所, 研究員
MATSUOKA Martha m. University of California, Researcher
備瀬 ヒロ子 (株)都市科学政策研究所, 主任研究員
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研究期間 (年度) |
1993 – 1994
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研究課題ステータス |
完了 (1994年度)
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配分額 *注記 |
11,500千円 (直接経費: 11,500千円)
1994年度: 6,000千円 (直接経費: 6,000千円)
1993年度: 5,500千円 (直接経費: 5,500千円)
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キーワード | 戦後沖縄 / 琉球列島米国民政府 / 地域・都市計画 / 計画技術 |
研究概要 |
1.本研究の目的 本研究は、戦後沖縄の統括下にあった沖縄の都市計画史の全体像と特色を解明することを目途して、当時の米国民政府が沖縄の都市計画、住宅計画及び公衆衛生に対して及ぼした計画技術、法整備、行政システム、財政等の影響を明らかにするとともに、米国本国の計画水準、他の統治国での関連計画・政策、日本本土での占領政策における関連技術、等との共通点、相異点を解明することによって、結果として都市基盤整備、住宅供給、衛生管理等へ与えた効果を明らかにすることを目的としている。 2.平成5年度における研究成果 平成5年度においては、米国民政府による都市計画、住宅計画、衛生計画に関連する法規、指令、調査、立案、計画の資料を収集した。また、米国計画基準資料の収集として、1945〜72年における米国の都市計画、住宅計画、公衆衛生に関する計画技術及び基準の資料を関係省庁にて調査・検索し、収集した。これらから、米国民政府時代の計画体系の分析、都市計画、住宅計画、衛生計画別及び時期別の整理、沖縄、米国、日本での関連法規、計画基準の相異点と変遷の分析を行った。その結果、米国民政府は沖縄の地域・都市計画に関する詳細で幅広い計画資料調査を行っており、関心が高かった。沖縄都市計画に対する関与は、当初は米国民政府による強制移住、現物供与、道路整備、計画案作成などの直接的関与であったが、米国民政府に代わってからは立法権を与えての関連法制の整備、基金、金融による補助制度、等の間接的関与へと切り替わっていったことなどが確認された。 3.平成6年度における研究成果 平成6年度においては、前年度に続き、米国民政府関連資料を収集した。併せて、米国国会図書館及び住宅都市開発省で、当時の都市計画関連の対アジア・日本政策資料を収集し、沖縄に対する政策との比較分析を行った。また、当時の琉球列島米国民政府関連文書の整理に関係した国立公文書館職員、元軍人による記録文書等についても、ヒアリング及び収集を行った。さらに、最終年度として、2年間の研究成果の取りまとめを行った。その結果、米国民政府による計画関連の調査は、海岸の埋立計画に関するものを初めとして、電力及び水源の開発計画、空港整備、道路計画、工業用地造成に関しての計画調査が多く、加えて、植物生態系の基礎調査、都市・地域計画全般の調査等が広範に行われている。GHQによる日本全体の地理学的調査と比べて、USCARによる沖縄の調査は地域整備方策とからめての具体的な計画調査であり、陸軍工兵隊とパブリックワークスとの協力のもとで、米国本土の民間プランナーや建築設計事務所のジョイント業務となっている。これらの調査計画は、当時の米国における計画水準を反映したものであること、などが明かになった。 4.得られた成果のまとめ 2年度を通しての研究の成果をまとめると、(1)戦後沖縄における米国民政府がとった都市・地域政策は、直接的関与から間接的統治へ変質しながらも具体的な地域開発、公共基盤整備を計画的・技術的に支援するものであった。(2)これらの計画内容は、当時の米国の計画水準を反映するものであったが、同時にアジアにおける地域風土や特性に合わせた沖縄独自の考え方を導入しようとしており、日本本土に対するのとは異なる計画視点を持っていた。(3)他方、日本政府からの都市・地域政策に関する支援は、法制度の情報提供と調整、計画技術の指導であって、それも日本本土の基準の適用に限定したため、沖縄の地域性には馴染まない部分も残している。(4)その中にあって、沖縄での対応は、地域計画や基幹施設開発においては米国の政策・財政・技術供与を受けつつも、個別の計画や事業レベルにおいては日本の技術指導を応用するという方策をとることによって、計画の独自性を有すると同時に計画の矛盾も内包することになった。その後の市街地形成はこれらの影響が反映されたと言える。
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