研究課題/領域番号 |
05044190
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研究種目 |
国際学術研究
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配分区分 | 補助金 |
応募区分 | 共同研究 |
研究機関 | 新潟薬科大学 |
研究代表者 |
多村 憲 新潟薬科大学, 薬学部, 教授 (50027314)
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研究分担者 |
BALAYEVA N.M ロシア医学アカデミー, ガマレア研究所, 主任研究員
TARASEVICH I ロシア医学アカデミー, ガマレア研究所, 教授
浦上 弘 新潟薬科大学, 薬学部, 助教授 (80139732)
角坂 照貴 愛知医科大学, 医学部, 助手 (90109760)
金子 清俊 愛知医科大学, 医学部, 教授 (00013904)
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研究期間 (年度) |
1993 – 1994
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研究課題ステータス |
完了 (1994年度)
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配分額 *注記 |
4,200千円 (直接経費: 4,200千円)
1994年度: 1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
1993年度: 2,600千円 (直接経費: 2,600千円)
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キーワード | 恙虫病 / ツツガムシ / R.tsutsugamushi / 病原体の分離 / 野鼠 / 媒介動物 / ロシア極東地域 / リケッチア保有率 |
研究概要 |
平成5年度(昨年度)はウラジオストック市西方の地域で野鼠85匹とツツガムシ幼虫1700匹を採取し、ツツガムシは生きたまま日本に持ち帰った。しかし野鼠の臓器は現地でフリーザ-を手配することができなかったので、冷蔵状態で4-10日間保存し日本に持ち帰った。我々の経験ではこのような保存法はリケッチアの分離効率を著しく低下させる。以上の分離材料をマウスに接種しリケッチアの分離に供したが、リケッチアは全く分離されず、分離に用いたマウスのリケッチアに対する抗体価も殆ど上昇しなかった。これは同地にはほとんどリケッチアが存在していなかったとも解釈できるが、野鼠臓器中のリケッチアが、日本に持ち帰るまでの間に不活化していた可能性も考えられた。そこで平成6年度には以下の点に留意して、採集、分離を行った。 1、採取地に液体窒素保管容器を運び、解剖後直ちに臓器を冷凍した。日本に持ち帰るときにも、日本よりドライアイスを運び冷凍状態を保った。 2、ロシア極東地域での分離株及び標準株を抗原として野鼠血清中の抗体価を測定し、抗体価陽性の野鼠の臓器を優先して、それらからリケッチアの分離を試みた。 3、分離には免疫抑制剤投与、非投与のマウスの他、培養細胞系を用い、弱毒、強毒いずれのリケッチアも分離できるよう工夫した。培養細胞もリケッチアに感受性の高いVero細胞と、リケッチアの観察の容易なL細胞の両方を同時に用いた。また、接種に際しては、分離材料を加えた単層細胞に数千Gの遠心をかけ、リケッチアの細胞への侵入を促進した。 4、試料の採集地は昨年度採集を行った地域にウラジオストック市周辺などの数カ所を加えた。 採集の結果、278匹の野鼠の脾臓、肝臓、血清及びツツガムシ12,600匹を良好な保存状態で日本に持ち帰ることができた。ツツガムシは帰国後直ちに分類した後、リケッチアの分離に供した。野鼠血清のうち抗体価陽性または擬陽性を示したものは僅かに2個体づつであり、これらの個体及びこれらと同一地域で捕獲された25個体の臓器よりリケッチアの分離を試みた。臓器は1個体ごとにマウス、培養細胞系の両方で、ツツガムシは25-500匹ごとにまとめてマウスもしくは培養細胞系で分離を試みた。マウスは3代、培養細胞系は2カ月維持したが、全くリケッチアを分離することができなかったのみでなく、分離に用いたマウスの抗体価の上昇も見られなかった。 今回の試料採集、リケッチアの分離は我々の知りうる限りの最良の方法を用いたが、リケッチアは全く分離されず、且つ分離に用いたマウスの抗体価の上昇も見られなかった。リケッチアの存在を示唆するものは、抗体価陽性の野鼠が僅かに2匹捕獲できたことのみである。昨年度の結果に加え、これらの事実は、同地でのツツガムシ及び野鼠のリケッチア保有率が極めて低いことを示している。しかし、本研究の究所分担者でもあるTarasevich等は1960年代に同地で疫学調査を行い、僅か数匹のツツガムシを材料として、マウスで高率にリケッチアが分離し、同地のツツガムシのリケッチア保有率が極めて高いことを報告している。それが我々をして本研究を企画させた動機であるが、本研究によりこの地方でのツツガムシ及び野鼠のリケッチアの保有率が現在では極めて低いことが明らかとなった。ちなみに今回調査した地域のツツガムシの種構成は、Neotrombicula Japonica,60.5%,Leptotrombidium pallidum4.8%,L.pavlovskyi,21.2%,他13.5%であり、1960年代の調査と大きな違いはない。 わが国でのツツガムシ病患者数はかつて年間数百名を記録したが、1965年からの10年あまりの間は10名前後に減少した。しかしその後再び増加に転じ、1980年以降は年間500-900名の発生を見るに至っている。このような劇的な患者数の増減の原因については諸説あり、未だに真相は不明である。ロシア極東地域では近年恙虫病患者に関する調査は全く行われておらず単純な比較はできないが、本研究によりツツガムシのリケッチア保有率が同一地域で数十年の間に劇的に変化することが明らかとなったことの意義は大きく、同様のことが我が国でも起こっていた可能性があるものと考える。
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