研究課題/領域番号 |
05451053
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研究種目 |
一般研究(B)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | 日本大学 |
研究代表者 |
佐藤 秀夫 日本大学, 文理学部, 教授 (20000060)
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研究分担者 |
小野 雅章 日本大学, 文理学部, 助手 (70224277)
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研究期間 (年度) |
1993 – 1994
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研究課題ステータス |
完了 (1994年度)
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配分額 *注記 |
2,900千円 (直接経費: 2,900千円)
1994年度: 900千円 (直接経費: 900千円)
1993年度: 2,000千円 (直接経費: 2,000千円)
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キーワード | 学童疎開 / 第二次世界大戦 / 集団疎開 / 分宿疎開 / 縁故疎開 / 都市と農村との文化差 / evacuation / 児童観 / 戦争と子ども / 教育史 / 子ども史 |
研究概要 |
本研究は、第二次世界大戦中に交戦国の一部において施行された「民防空」方策の一環としての学童疎開(evacuation of school children)について、日本・連合王国・ドイツの3国の事例を実証的に比較検討したものである。1939年開戦と同時に実施した連合王国、翌40年以降ヒトラー・ユーゲント組織のもとに施行したドイツ、43年縁故疎開が許容され翌44年から学校単位での集団疎開を施行した日本の3国に限定したのは、限られた期間内に研究を収束するための、資料上の制約による。 本研究で確認しえた知見は、下記の如くである。 1.学童疎開は、いずれの国においても国内防空体制の整備という戦争継続方法として企画・施行されたものであり、ヒューメインな契機に由るものではない。 2.企画施行においては、国家体制の差異が顕著である。連合王国では委員会方式による事前準備を経、施行に際しても議会の監視による修正など、フレキシブルな改良が加えられた。集団宿泊は原則としてとらず、ヴォランティアの私宅への分散宿泊が主体であった。 3.これに対して、ドイツではHJの指導下での集団方式が主体であり、日本では既存の学校制度に依拠して進められる一方、家族主義重視の観点から家族の責任による縁故疎開が原則とされた。 学童疎開は、いずれの国においても社会の階層制を反映してその処遇に差異があった。また、都市と田舎との間の文化落差の実態を露呈させた。疎開先での学習内容には、戦時色が濃厚となった。子どもたちにとっての「戦争被害」に他ならないが、都市・田舎の文化差、子どもたち相互の極限状況での人間関係など、戦後の社会改革・教育改革の動向に一つの重要な影響を及ぼしたということができる。
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