研究概要 |
9世紀初頭、空海・円仁等によって日本に導入されたシッダン学の初期の形態を探ることが平成5年、6年度の2年間にわたって行われた本研究の目的であった。 平成5年度は、空海の『三十帖策子』を中心に研究を行った。特に従来は内容に踏み込んで研究されることのなかった「八曼茶羅経」梵文テクスト(第26帖所収)の精密な調査分析を行った。その結果,空海の長安におけるシッダン学習の実態を具体的に知る基礎データを得ることができた。また,空海のシッダン学習の基本的動機は,円仁のシッダン学習をも大きく規制していたことが,空海と円仁の将来目録(『請来目録』,『新求聖教目録』等)の分析を通じて明らかになった。また,弘仁天長期における日本のシッダン受容が,書という芸術ジャンルとも深い関係を有していることが明らかになった。これはシッダン学が当初から宗教の枠を超えた文化的広がりを持って受容された事を意味している。 平成6年度は、円仁の唐土におけるシッダン学習を具体的把握することを目標とした。そのために、円仁の『入唐求法巡禮行記』の分析、『入唐求法巡禮行記』と「承和五年目録」と「新求聖教目録」などとの比較対照、、石山寺蔵「薫聖教」中に見出される「圓仁記」の奥書を持つ「シッダン字母」(伝淳祐筆)の精密な解読を行った。その結果、円仁の梵字資料に対する強い関心、また正確なシッダン音韻への強い希求を確認することができた。また、円仁のシッダン音韻の認識と知識がきわめて正確であり、体系的であったことが確認された。これは従来知られることのなかったことであり、本研究の大きな成果であると考える。併せて、安然『悉曇蔵』の体系を、入唐僧がもたらした原資料との関係で予備的に考察した。 上述した研究成果は論文の形で発表した。また、発表する予定である。
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