研究課題/領域番号 |
05610026
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
印度哲学(含仏教学)
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研究機関 | 一関工業高等専門学校 |
研究代表者 |
奥山 直司 一関工業高等専門学校, 一般教科, 助教授 (50177193)
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研究期間 (年度) |
1993
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研究課題ステータス |
完了 (1993年度)
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配分額 *注記 |
1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
1993年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | 在家仏教 / ウパーサカ / 明治の新仏教運動 / チベット / 三経義疏 / 戒律 / 仏教の革新 / 聖徳太子 |
研究概要 |
河口慧海の思想の形成と発展の過程を、便宜上3期に分け、それぞれについて【.encircled1.】著作の分析、【.encircled2.】近親者からの聞き取り、【.encircled3.】現地調査を実施することによって、次のような知見を得た。 第1期:思想形成の時代(〜1897) 河口は仏教の革新、「破邪顕正」を叫ぶラディカルな青年仏教者として登場する。自己教育の才能に恵まれたかれは、時代の要求を鋭敏に感じ取り、非常な行動力でそれを実践に移してゆく。その思想には、かれの独創というよりも、時代の共通感覚といったものが色濃く看取される。それは、明治期の新仏教運動を特徴づける在家主義・戒律主義であり、反キリスト教の運動であり、大内青巒らによる尊皇奉仏大同団の活動、井上円了の推進した「仏教の哲学的形成」の運動であり、「新仏教」の運動である。 第2期:チベット旅行時代(1897〜1915) この期の主著『西蔵旅行記』は、河口自身が期するごとく、一宗教家の思想探求の書として読まれるべき性格を持つ。そこにはチベット仏教からの直接の影響は見出だしがたい。 第3期:「在家仏教」時代(1915〜1945) かれが提唱・実践した在家(ウパーサカ)仏教は、宗教思想家河口の至りついた結論とみなすことができるが、それは一面では明治仏教において提出された諸問題(弊風の打破・在家主義・戒律主義など)に対するかれなりの解答であった。また河口が梵蔵漢のテクストから矢継ぎ早に翻訳出版した大乗の諸経典は、大衆教化の有力な手段であると同時に、かれの運動を支える教証の性格を有していた。特に『法華経』『勝鬘経』『維摩経』の出版(1924〜28)は、かれが日本における在家仏教の祖とみなす聖徳太子の『三経義疏』を意識したものある。かれが創出した存家仏教修行団はその後消滅したが、その思想と行動派、新宗教興隆の時代の先駆けをなしたものと位置付けることができる。
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