ボスの作品は、これまで解釈上難解なものとされてきたが、それらは深く当時の民衆のフォークロアに根ざしている。現在忘れ去られてしまった中世末期の民衆生活の図像学を掘り下げることが課題となるが、ここではあくまでボスの作品に現れる具体的な図像を出発点として、それを当時のネーデルランドの市民生活に置き直してみるという作業が繰り返された。その中でボスの異質性と同時代との共通性がはかられるが、概してボスのイマジネーションがいかに異様なものであっても時代精神から大きくそれるものではなかったようだ。考察としては、ボスの作品を、まず全体を通じて観察される図像の特色をまとめてみた。生涯のあいだにボスの作品群は、およそ3つに分類できるが、それらは諷刺、幻想、宗教性の文脈で解釈される。諷刺では、「阿呆」「愚者」というエラスムスやブラントと共通した観点から、図像の意味を解釈できそうである。次の幻想については、ボス独特の怪物が画面をおおいつくすものだが、1500年を前にした当時の終末思想と関連しているようだ。最後の宗教性という点では、もちろん当時の絵画は大半が宗教的主題であるので当然のことだが、ことにボスの晩年に描かれる諦めきったような聖人の表情は特徴的で、当時のオランダをおおいつくした「デヴォチオ・モデルナ」の敬虔な祈りを旨とする宗教運動と対応しているようである。以上の全体的考察を踏まえて、ボスの代表作である「快楽の園」祭壇画の細かな部分図を見つめ直してみた。ことに中央パネルの曼陀羅にも似た図像の観念性は、言語を読み取るように個々の身振りの意味を読み取ってみた。
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