イギリスの社会学者ゴーラーが「死のポルノグラフィー」(1955)によって先鞭をつけ、アリエスが『死と歴史』(1975)によって明確に現代社会の特性として歴史的に定位した「死のタブー視」は、今や高度産業社会に共通するものとなっている。こうした事態を招いた基本的要因として、「死の医療化」と伝統的共同体の衰退が挙げられる。医療の制度化に伴い、20世紀の初頭から中葉にかけて伝統的な「在宅死」は「病院死」に取って代わられ、葬儀を担ってきた共同体の役割は「都市化」と「産業化」の進展の中で葬儀産業へと移行した。 本研究はこうした事態によってもたらされる「死の意味づけ」の変化を、「医療」領域に限定することなく、(1)現代社会における多様な死のあり方に関する全体的見取り図を構築し、(2)特に家族特性-親子・配偶者・兄弟姉妹-の違いによる「意味づけ」の差異を、既存のデータの再整理を通して系統的に明らかにすることにある。 この作業の中で、現時点において注目すべき事態として次の二点が挙げられる。一つは、「高齢化」と「医療化」の接点において「予期された悲嘆」(anticipatory grief)が本来の機能を喪失し、「ストックホルム・シンドローム」を発生させつつあるという点であり、第二点は「子供」概念の意味づけの変化によって、「子供の死」の意味づけが困難となってきている、という点である。
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