研究課題/領域番号 |
05610168
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
社会学(含社会福祉関係)
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研究機関 | 作陽音楽大学 |
研究代表者 |
中桐 規碩 作陽音楽大学, 音楽学部, 教授 (90211416)
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研究期間 (年度) |
1993 – 1995
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研究課題ステータス |
完了 (1995年度)
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配分額 *注記 |
1,500千円 (直接経費: 1,500千円)
1995年度: 300千円 (直接経費: 300千円)
1994年度: 400千円 (直接経費: 400千円)
1993年度: 800千円 (直接経費: 800千円)
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キーワード | 過疎 / 社会移動 / 地域社会 / 人口の流動性 |
研究概要 |
笠岡諸島は戦後阪神地区へ流出する者が多く、急激な人口減少によって過疎地となった。人口流出の主な要因は職業・職場の確保、結婚、子供の教育、医療等不十分な生活環境のなかで生活の質の向上に期待がもてないことによるものである。 流出者の約半数が回帰しており、この傾向は将来も変わらないことが予測できる。各島の住民の20%が島内に生まれ流出したことのない者で、70%が島に生まれ、一度は流出し回帰してきた者である。10%が島外から流入してきた者である。流入者は少なく外部からの移住者を集めて地域を活性化することには困難がある。また流出者は将来の回帰を予定して家屋敷を処分することは殆どない。 回帰に伴って職業移動をする者が多く、無職化が特徴的傾向となっている。無職化は高齢者に多く、笠岡諸島では高齢者の夫婦あるいは単身世帯が多く、医療上の問題を生じている。島には組織に組み込まれて働く職場はなく、自分の知識技能に頼る自営業が主たる職業になる。自営業への移動は海運業、石材加工業、漁業等各々の島の特徴的な産業と関連した職業に集中的に起こり、しかも無職にならない移動者は比較的若年である。 島に回帰した人々は流出後も出身の島との交流を図りながら、定年退職あるいは家を継ぐ必要が生じたとき回帰している。流出した側から見れば、流出者の半数ぐらいが回帰を予定し、残りの半数は回帰するつもりもなく、ふるさととの交流も断っている。笠岡諸島の場合、人口流出によって地域住民がゼロになることはなく、20%の流出しない人と流出者の半分の回帰者によって地域社会が維持されていく。
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