研究課題/領域番号 |
05610186
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
教育学
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研究機関 | 群馬大学 |
研究代表者 |
所澤 潤 群馬大学, 教育学部, 助教授 (00235722)
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研究期間 (年度) |
1993
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研究課題ステータス |
完了 (1993年度)
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配分額 *注記 |
1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
1993年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
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キーワード | 留学生 / 入学者選抜 / 入学試験 / 朝鮮国 / 外地 / 特設予科 / 大東亜共栄圏 |
研究概要 |
1.東京大学庶務部が所蔵する公文書、国会図書館が所蔵する日華学会年報等、日本留学経験のある台湾人数名にインタビューをもとに、制度的側面、統計的側面を調査した結果、留学生入試は、外国人留学生への入学要求水準をどのように設定するか、という問題をめぐって歴史的に展開してきたことが確認できた。2.早くも明治15年末に朝鮮国からの派遣留学生の東大予備門入学が問題化しているが、問題の焦点は、日本語及び英語の語学力の問題であったことが明らかになった。3.わが国の大学は、明治30年頃から、留学生を正規の学生として受入れない理由として高等学校出身でないという形式的な条件を掲げたために、行政側は、留学生にみかけ上の高等学校卒業資格を与える方策を採った。高等学校特設予科、第一高等学校特設高等科、東亜学校高等科などがそれにあたる。しかし、昭和10年代後半に大東亜共栄圏から留学生を積極的に受入れるにはそれでは不十分で、東京帝大では昭和18年から外国人留学生に限り、高等学校卒業者以外にも門戸を開き、一方で入学者を厳選するに至った。以上の流れから、敗戦までの入学者選抜制度の国際性形成過程で最終的に行き着いたところは、形式的選抜から実質的選抜への転換であったと跡付けることができよう。4.外地籍学生の内地留学は当初外国人扱いで昭和初年まで増加を続けていたが、昭和初年に一旦急減し、その後漸増している。これは内地人に比して入学が有利すぎることが問題化し、日本人扱いに切換えられたことによることが明らかになった。5.旧外地籍の人たちは、日本教育を受けていたにもかかわらず、敗戦により、外国人として日本の大学への留学が可能となった。戦後、長い間、彼らが容易に日本の大学に入学できるという恩恵を受けたのは、戦後の日本の大学の留学生入学選抜が、日本の国際的地位喪失とともに再び形式的選抜に戻ってしまったためと言えるのではないだろうか。
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