1.明治37(1903)年4月から、全国一斉に国定教科書が使用されたと一般に考えられているが、岐阜県が国定教科書への切り替えを完了させたのは、明治39年であった。検定教科書の取扱い、国定教科書の導入、過渡期の経過措置等、地方教育行政担当者の具体的な対応とその国定教科書観が明らかになった。 2.岐阜県下、地方教育会が設定した教科書研究会の動向が明らかになった。国定教科書使用準備が教育会単位で取り組まれ、地域の有力教員達に担われて新国定教科書へのマニュアルが作成されていく経緯を明らかにした。国定教科書使用に際して、教授細目の編成、実地授業と研究会の設定など、各地域での取り組み実態とそれぞれの特色が明らかになった。 3.学校日誌、実地授業研究録等を調査し、学校現場での実地授業と批評会の頻度、形成、内容について、教科ごとの分類を試みた。 4.教育家の日記類から、大正期の教科書研究会の様子、新教育運動の教育思想の波及状況が明らかになった。 5.『雑誌 愛知教育』を調査し、国定教科書関係記事・論説を検索して、事項・内容のカード作成作業をすすめた。国定教科書第一期、第二期について作業を行った。 6.師範学校附属小学校研究会の内容、さらに愛知教育会が開催した種々の教員講習会の内容が明らかになった。 7.師範学校スタッフが、講習会講師あるいは教育会雑誌の執筆陣として、きわめて精力的に活動しており、県内の授業形態の範型作りに絶大な影響を及ぼしていた具体相が明らかになった。
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