研究課題/領域番号 |
05610198
|
研究種目 |
一般研究(C)
|
配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
教育学
|
研究機関 | 京都大学 |
研究代表者 |
海原 徹 京都大学, 大学院・人間・環境学研究科, 教授 (00026824)
|
研究期間 (年度) |
1993
|
研究課題ステータス |
完了 (1993年度)
|
配分額 *注記 |
1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
1993年度: 1,200千円 (直接経費: 1,200千円)
|
キーワード | 遊学 / 政治教育 / 政治結社的私塾 / 巡回講談 / 挙藩一致体制 / 国民軍 / 権力闘争 / 海外留学生 |
研究概要 |
本年度テーマに関して得られた知見は以下のとおりである。1. 16年余続いた月性の遊学は、その期間の長さ、行動半径の広さからみて同時代人の中でも希有のものであり、とくに九州各地で得た政治的教養が後の革命的アジテターとしての素地を創ったことは間違いない。2. 萩城下の士分と早くから往来があった理由はなお不分明であるが、こうした人間関係をフルに利用した彼は、塾の門人や知友の子弟を積極的に紹介し、また自らの主宰する時習館や克己堂に萩城下の人びとを意欲的に迎え入れ、しだいに学塾相互間の交流を活発に進めた。3. 時習館の教育は平均的な漢学塾のそれと異なり、眼前の時事問題に対処できる人材養成をめざした政治教育としてカリキュラム化されていた。4. 教師や塾生たちの人的交流が契機となり、これがしだいに藩内各地にあった政治結社的私塾の同盟関係に発展した。5. 藩内全域に対して行われた巡回講談は、内憂外患を訴える政治的アジテーションであり、やがて奇兵隊に代表される前期的国民軍の結成や挙藩一致体制の確立に役立つことになる。6. 時習館グループが世に出なかった理由は、中心的人物の早世や戦死などのせいもあるが、一番大きかったのは、彼らの出自が陪臣や神官、僧侶、農民などであり、萩城下の直臣たちとの権力闘争に敗れたことである。挙藩一致体制のリーダーシップの掌握、さらには維新革命の美果の獲得をめぐる角逐や抗争から、彼らはしだいに排除されていった。その出自ゆえに、海外留学生に選ばれず、新しい時代潮流の圏外に置かれたことも、無関係ではなかろう。7. 幕末期の活躍、知名度が維新後に世俗的な出世に結びつかず、ほとんどの人びとはせいぜい地方名望家の境遇に甘んじた。
|