研究概要 |
「宝暦の治水」とは、宝暦3(1753)年12月幕府からお手伝い普請を命ぜられた薩摩藩が、翌4年から5年にかけて行った木曽川等の治水工事を言う。 本研究の目的は次の点にあった。1「宝暦の治水」に関する薩摩藩側関係史料の存在状況を確認収集し今後の研究の基礎を作ること,2 工事に予定以上の出費を強いられる理由と藩財政への影響,3 工事参加者(薩摩藩武士)が多数切腹する遠因となる人格形成を薩摩藩の子弟教育にみることである。 研究の結果は次の通りである。1,薩摩藩側の史料は「薩藩旧記雑録」に収録される以上のものはなく、在地史料として期待された山崎・伊作・蒲生三郷の「御仮屋文書」にも直接関係する史料はないことを確認の上、名古屋大学図書館所蔵および岐阜県立歴史史料館所蔵史料を収集した。2,支出増加の原因の一つとして、「五拾箇年御普請明細帳」により在地百姓が常に河川などの定式・臨時普請による利益に注目しなければならないことを示した。3,藩財政への影響は、借財増加のきっかけとはなるが、返済のための改革は行われず、以後の財政悪化の原因は重豪期の放漫財政に求めるべきである。4,人格形成の教育としての武士子弟の郷中教育は、「定説」化されている人材養成として優れた教育ではなく、他者排除、身贔屓を強め、集団行動に適する人物が養成されたことを明らかにし、このような性格が犠牲者を増加させることなった。 収集した史料による上記目的の研究は継続中であり、特に藩財政への影響では、幕末期の鋳銭までを含めた長期的視野で藩財政を明らかにする必要がある。
|