研究課題/領域番号 |
05610292
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研究種目 |
一般研究(C)
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配分区分 | 補助金 |
研究分野 |
日本史
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研究機関 | 北海道開拓記念館 |
研究代表者 |
小田島 和平 (1994) 北海道開拓記念館, 学芸部, 主任 (30177240)
矢野 牧夫 (1993) 北海道開拓記念館, 特別学芸員 (90113472)
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研究分担者 |
丹治 輝一 北海道開拓記念館, 学芸部, 学芸員 (60132833)
小田島 和平 北海道開拓記念館, 主任 (30177240)
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研究期間 (年度) |
1994
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研究課題ステータス |
完了 (1994年度)
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配分額 *注記 |
1,600千円 (直接経費: 1,600千円)
1994年度: 600千円 (直接経費: 600千円)
1993年度: 1,000千円 (直接経費: 1,000千円)
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キーワード | サハリンの戦後 / 日本人社会の崩壊過程 / サハリン残留日本人 / 樺太地区の戦後 / サハリン-旧樺太地区 / 第2次大戦後の日本人社会 / サハリン国立文書館所蔵資料 |
研究概要 |
1.サハリンに残存する文書資料の調査(既に入手したもの) 1)ソ連軍の進駐直後の1945年9月初旬までに、ソ連軍は緊急調査を行い占領政策を樹立するために必要とする詳細な基本計画を作成した。 2)樺太庁の解体とソ連民政体制の確立によって、日本人社会の基盤は稀薄となったが、尚、町内会隣組は残存し日本人社会の形態は維持されていた。 3)1946年以降、民政化が進むにつれて「密告」体制が確立し日本人社会の弱体化が進んだ。 4)1947年ごろから引揚げた日本人に替わり、大陸から疲幣したロシア人がサハリン移民として大勢移住しはじめた。 2.一次帰国者の聞き取り調査 1)引揚げ業務終了後もなおサハリンには1,000名ほどの日本人が残留したが、ロシア人、朝鮮系住民に較べて社会的地位はきわめて低く、生活条件は極度に悪化していた。 2)スパイ容疑者として取調べを受ける多数の日本人残留者が秘密警察にチェックを受けていた。また、国外からサハリンへスパイとして送り込まれた日本人も若干存在していたよう 3)残留日本人としての身分をかくしながら現在までほぼ50年を経過したが、サハリンにはまだそのような人びとによって日本人としての精神・生活文化が残存し、継続されている。 3.国内資料の調査 1)外務省外交史料館・国会図書館・および個人資料などから樺太におけるソ連侵攻時の日本人社会の混乱状態をかなり具体的に把握することができた。 2)国会図書館資料や個人手記などから戦後のサハリン地区における「諜報活動」に関与させられた残留日本人が多くいた経緯が明らかとなった。 上記1の1)について今年度内に調査報告を刊行する予定である。
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