研究概要 |
アジア・アフリカの植民地支配にとって在地のエリートの協力は不可欠であり,それは西欧列強がわずかな数の兵士と行政官で広大な地域と膨大な数の人々を支配するのを可能にした。支配者側は忠誠の見返りとして彼らに有利な政策を実施しただけでなく,さまざまな形の恵み(patronage)を気前よく与え,彼らは支配者に協力することで在地における自らの権力と影響力を増大させることができた。本研究ではこうしたシステムがインド軍兵士の最大の供給地であったパンジヤ-ブでどのように機能したのかを明らかにするための基礎作業として,大土地保有者、有力氏族の長,多くの弟子をかかえたス-フィー教団の指導者(Pir)といった在地のエリートの実態,イギリスがこの地に建設した灌漑施設と入植者(canal colony)の実態,また土地市場の形成や農民負債にみられるようなイギリスの経済政策がパンジャーブ社会に与えた影響とその救済策としての「パンジャーブ土地譲渡法」(The Punjab Alienation of Land Act),土地や年金、名誉治安判事や市会、県会のメンバー職といった現金,土地、名誉の授与と官吏採用における優遇策,また彼らに有利な教育政策や税制の実施などをとおして与えられたさまざまな形の恵みの実態について調査した。そして20世紀初頭までにイギリスが在地のエリートとの間に非公式な同盟関係を確立していたこと,更にそうした同盟関係が統治法の改正と「パンジャーブ国民連合党」の結成と成長をとおして公式の同盟関係に発展して行ったことを確認するとともに,イギリスのインドからの撤退にともなって生じた同盟関係の亀裂について展望した。
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